湿っぽいお別れのあいさつなんて似合わない。 松田直樹はいつだって「なんだてめぇ!」と言いながら緑の芝生を駆けあがっていく! サポーターみんなが目撃者。 松田直樹の華麗なる暴走伝説!!
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コラム 【寺野典子コラム】松田直樹が逝った。 Tweet 2011年08月09日09:24 Category:コラム寺野典子 8月4日昼過ぎ、ニュース速報を見た友人から「マツのこと聞いたよ。大丈夫?」というメールが携帯に届いた。そのことを知らなかった私は、「倒れたのは2日前の話なのに……」と携帯電話をしまい、空を見上げた。青い空に白い雲がはっきりと浮かんでいた。強い日差しを浴びながら、久しぶりの夏空に目を細める。 「マツらしい空だな」 ふと、そんなことを思った。 彼の旅立ちを知ったのは、それから数分後のことだった。 松田直樹を初めて取材したのは、彼がマリノスに入った年で、そこから10年以上は数カ月に一度はインタビューをし、アトランタ五輪をはじめとした代表でも取材はつづいた。けれど、2005年以降、じっくりと時間をかけて話を聞く取材はたった一度しかなかった。長く携わっていたサッカー雑誌の仕事
松田はずいぶんと幸せだったと思う。 しなりがtwitterで、「松田は最高の人生で、美しく死んだ。34で死ぬとわかっていても、ああいう風に生まれ変わりたい」というようなことを書いていたが、これに自分は全く同意である。 天賦の才能に恵まれ、わがまま放題でサッカーも私生活も掻きまわすだけかきまわして、それでも憎めない・・・どころか愛されていく。 昨年の一連の契約非更改の騒動もそうだった。 勝つということに非情さが必要となるときもあろう。 それはサッカーにしろ仕事にしろ、なんでも同じだ。顧みるに、自分がそういう瀬戸際に立たされたときに、非情なこともされてきたし、非情なことも してきた。 怒り、悲しむ気持ちは分かることであれど、そちらも理解せざるを得ない。自分はこの騒動のあいだの折々、カントナを切ったエメ・ジャケの決断が頭にあった。 これを評して、ある人は「ミスターマリノスだからミスターマリノスを
2011年08月07日01:16 カテゴリ 松田直樹に感謝を込めて まだ2年半しか写真を撮っていませんが、松田直樹がマリノスで戦った姿を集めました。 【2009年11月15日 天皇杯2ndLeg 川崎フロンターレ戦】 【2010年05月29日 ナビスコカップ 湘南ベルマーレ戦】 2点先制し、攻める気を無くした若手に「点取りに行け!!」と叱咤していたマツ。 【2010年08月29日 アルビレックス新潟戦】 ゴールした功治と俊輔にいたずらをするマツ。 【2010年05月22日 ナビスコカップ 清水エスパルス戦】 開幕前からの怪我から帰ってきたマツ。マツの2010年開幕戦でした。 【2010年10月31日 サンフレッチェ広島戦】 ジローの決勝ゴールに「本当にお前が決めたの!?」とおどけるマツ 【2010年11月14日 FC東京戦】 元チームメイトの石川直宏と握手するマツ 【2010年11月06日
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