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読み物と東北地方太平洋沖地震に関するiumemのブックマーク (3)

  • あの日、東京で。 - インターネットもぐもぐ

    2001年9月11日、わたしは12歳だった。 映画みたいだ、と思いながら遠くで高いビルが崩れるのをテレビで眺めた。 飛行機のプラモデルとレゴのブロックで弟と遊んでるような擬音でしか認識できなかった。ひゅー、どかーん。なんだこれは。何が起きてるの。 詳しいことはわかっていません、というアナウンサーの声を聞きながら歯を磨いた。 朝起きたら世界は少し変わってるんだろう、今日のことはきっと歴史の教科書に載るのだろう、と思って眠りについた。 戦争が起きた。 2011年3月11日、わたしは21歳だった。 「あれ、揺れてる」「うん地震だねー、すぐおさまるでしょう」「…たぶんかなり揺れてるけど」 「これまずいって…」「とりあえず外でたほうがいいよ」「え、そんなに?」 ビルを駆け下りて、渋谷道玄坂の路地裏に出た。 たくさんひとがいて驚いた。このおもちゃみたいなビルの集合体からポンプで吐き出されるように出現し

    あの日、東京で。 - インターネットもぐもぐ
  • 仮定による傷、処方としての贈与 - 傘をひらいて、空を

    災害のためでなく、もとより私たちのあいだには電話を使う習慣がなかった。ふたりともけちなのだ。だからおしゃべりにはskypeを、それが普及する前はチャットを使っていた。 私は内心、skypeがある時代でよかったと思っていた。たいした被害も受けていなかったのに、人の声を聞いたら肩の力が抜けた。人の声がことのほかいいものに感じられた。 彼女は茨城のご両親の無事を報告し、それから、募金どこにするのと訊く。赤十字かなと私はこたえる。うちの会社もやるんだと彼女は言う。その発表したらなんかね、きたよ、偽善者ー!みたいな匿名メール。うちみたいなちっちゃい会社にそんなメール送ったっていいことなんにもないのにね。うちの関係者なんだろうけど。 糾弾はある意味でもっとも簡単な参加の方法だからねと私はこたえる。私は思うんだけど、こういう大きな災害とかって、自分の中に位置づけるのがけっこうたいへんなんだよ、直接被災し

    仮定による傷、処方としての贈与 - 傘をひらいて、空を
  • 03.11 大惨事とミラクル - Chikirinの日記

    地震の当日、3月11日の夜。 午後10時を過ぎたころ、ホテルの方がロビーに小さなテレビを設置してくださった。 私を含め、この時点では何が起こっているのか全く理解できてなかった人達が、寝ていた床からゆっくり起き上がってテレビの周りに集まった。 私もくるまっていた毛布から出て見にいった。 午後 2時 46分に地震があってから 7時間後、初めて情報らしい情報に触れたのがこの時だった。 テレビは信じられない映像を流していた。 文字通り一瞬のうちに津波で流される街。 興奮したヘリコプターからのレポーターの声。 衝撃だった。 テレビを見始めた人はみなひとつの声もあげず、誰も彼も沈黙して画面を凝視していた。 中には、見ていられなくなってテレビの前を離れる人もいた。 津波に飲み込まれる街を見ながら、神戸の地震を思い出した。 あの時も私はテレビを見ていた。 早朝に地震があって、東京にいた私は仕事の最中もずっ

    03.11 大惨事とミラクル - Chikirinの日記
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