考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わることだ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。じっさい、宣長は、そういう意味合いで、ひと筋に考えた。彼がいわゆる「世の物しり」をしきりに嫌いだと言っているのも、彼の学問の建前からすると、物しりは、まるで考えるということをしていないということになるからだろう。この点では、徂徠も同様であったと見てよい。 -----小林秀雄『考えるヒント』 英国の物とチェコの物では、同じ意味を持つ語で示されていようとも、いつもそれが同じものを示しているとは限らないことは、これまでに述べてきた通りである。しかし英語を学ぶものは、このことによく注意しなければならない。そこでこの章では、英国の現実がチェコあるいはスロバキアの現実といろいろな面で異なっていることについて述べてみよう。次にちょっとした例をあげる。 'A cup