●魚問屋の息子から天下一の茶人へ 信長、秀吉という2人の天下人に仕え、茶道千家流の始祖となった“茶聖”千利休。本名は田中与四郎、号は宗易(そうえき)。大阪堺の魚問屋『ととや』に生まれる。当時の堺は貿易で栄える国際都市であり、京の都に匹敵する文化の発信地。堺は戦国期にあって大名に支配されず、商人が自治を行ない、周囲を壕で囲って浪人に警備させるという、いわば小さな独立国だった。多くの商人は同時に優れた文化人でもあった。 父は堺で高名な商人であり、利休は店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に入る。18歳の時に当時の茶の湯の第一人者・武野紹鴎(じょうおう)の門を叩き23歳で最初の茶会を開いた。 紹鴎の心の師は、紹鴎が生まれた年に亡くなった「侘(わ)び茶」の祖・村田珠光(じゅこう、1423-1502)。珠光は“あの”一休の弟子で、人間としての成長を茶の湯の目的とし、茶会の儀式的