いつのまにやら「(3年|ハイスクール! )奇面組」が「夢オチ漫画」としてしか語られなくなったのは、とてももったいないことだと思っている*1。自分が小中学時代にいちばん読み込んだ漫画だからというのもあるけど。 だって、ちょっと考えただけで、下記のような研究テーマ(笑)がガンガン出てくるではないですか……! 一堂零は現在の基準から見ればまごうかたなきオタクだが、まだ「オタク」という言葉がなかった/普及していなかった時代のせいか(そのせいで彼/彼らは「変態」というレッテルを貼られている)、現在オタクを自称する人々が抱えているコンプレックスとは別種のコンプレックスを抱えて生きているように見える。それは何か? 連載が進むにつれて奇面組の幼児性がますます強調されるようになったのと、80年代という時代の流れとの関係はいかに? 「母の不在」という新沢基栄独特のモチーフ*2は、同時代から見ても若干感じられた