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存在とネットに関するj708のブックマーク (2)

  • メッセージ。 - いまのネットに常識は存在しないっす

    > http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060920#p2 >  > 結局のところ、「これが常識だ」「それは常識ではない」という対立は、両者共に「常識外への不寛容」という点で一致しており程度が同じ。 「夜中のメールは非常識かどうか」という問題が昔あって、この件はいろいろ考えたなぁ。そのとき分かったことの1つは、「ネット上に常識は存在しない」ということ。これは定義から明らかなのだ。 というのも、ネットの歴史は浅い。というかネットにいる多くの人の経験が浅い。せいぜい5〜6年とか10年とかの人がほとんどでしょう。そして、その間にもネットに流通するアプリやコンテンツや人はどんどん変わってきたわけで。 そういった過去を考えれば、2006年現在において、そこにいる人たちの間に、共通認識や常識というものが固まっているはずがない。そんな短時間に、常識などというものは形成さ

  • 時計の存在とネットの存在が要請する社会人としての常識 - アンカテ

    「時間を守る」ということは、社会人としての常識の基中の基である。 しかし、Wikipediaの時計の歴史によると、ゼンマイが発明されて時計が携帯できるようになったのは、1500年頃だ。そんな時代に「時間を守れ」と言ったら、「そんなこと絶対不可能」と思っただろう。いや、まず「時計」なんてものを見たこともなくて、「時間を守れ」という倫理が何を意味しているか理解不能な人が大半だったはずだ。そして多少は意味が通じるようになっても、時計なんて高価なものを買えるのはごく一部の特殊な人であり、性格が良くて勤勉でも「時間を守らない」だけで人が失業するなんて時代が来るとはとても想像できなかっただろう。 「時間を守る」という概念が一般化したのは産業革命以降のことである。大勢の人が工場で生産活動をするようになってはじめて、そういうことが一般人に要請され、同時に、その気になれば時間を守ることができるようになっ

    時計の存在とネットの存在が要請する社会人としての常識 - アンカテ
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