と最初に思ったので昨日のエントリの後半部分を極端に書いてみた。 本当はあれに生徒間、クラス間、学年間、更には生徒-教師、学校-教師、両親-学校、生徒-学校のような形で相互評価の仕組みを盛り込もうかと思ったのだけど、ちょっと過剰になりすぎるのでやめた。それが完全に組み込まれた場合、学校は完全なディストピアになると思う。 あの後半部分の下敷きとしているのは、id:nisemono_sanのこのエントリと、アレクサンダー・ペインの『ハイスクール高校白書』で、学校の「調教機械」としての性質と、そして『ハイスクール高校白書』が示しているように、教室(学校)は既に生徒、あるいは生徒-教師をプレイヤーとしたかなり高度な「政治の舞台」であることを明示しようと思って書いたものだ。 これをただ単に「ネタ」として笑い飛ばすことは簡単だが、僕が明示した「あの学校」は、今の状況をちょっと過剰にしただけであって、荒唐