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相手と好意に関するj708のブックマーク (3)

  • 私の頭の中のフィルター - ネット硬派系

    「好意」や「愛し愛され」の話が各所で起こっている。ここでの私見。 自分の好意や愛が、相手にそのまま伝わるなんてことは恐らくないといっていい。自分の行為(好意、愛)にレスポンスを返すのはいつだって他人だ。そして自分の行為は他人の中で咀嚼され形を変える。 あらかじめ行為を伝える人との関係において相手に「自分に対する好意」が形成されていなければ、自分の行為は伝わらない。 行為は各々の心の中にあるフィルターを通して変換される。相手に自分に対する好意フィルターがあれば、おおよそ自分の行為は好意的に解釈されるだろう。それとは逆に相手が自分に対する嫌悪、恐怖といったフィルターを持っている場合、自分の行為は相手に悪感情を抱かせる。 よくいわれる「同じことをしてもイケメンはよくてキモメンはだめ」現象は、すでに相手が行為主体の外見的特長から、無意識に好意を抱いているために起こる現象だ。外見がすべてという気はさ

    私の頭の中のフィルター - ネット硬派系
  • 実践的愛され研究その2 - wHite_caKe

    「見返りを求めていない(ように見える)好意のほうが、見返りを求めていることがまるわかりな好意より返報される可能性が高いんじゃない」と私は昨日書きましたが、さてさて、それではひとは一体どのへんで「これは見返りを求めている好意だ」などと判断するんでしょうかね? これはまあ、個人差が大きいでしょうね。鈍感なひとと鋭いひとでは、全然違うはずだもの。 そしてまた、「あることに関しては鋭いひとが、別のことには鈍感」というのも、よくある話ですし。鈍感を装う鋭いひとや、鋭いふりをする鈍感なひともいるし。ほんに世の中は難しい。 ただ、それでも多くの人が共通して持っていそうな一つの見返り期待判断基準に、「好意の大きさ」というものがあるように思えます。 出会って間もないのに高価すぎるプレゼントをあげちゃうとひかれることが多いのは、だからですねえ。 「100万円の腕時計をくれたってことは、おれはこれと同程度の金額

    実践的愛され研究その2 - wHite_caKe
  • 実践的愛され研究その1 - wHite_caKe

    とか言いつつ、研究というほどのものではないんですが。 あと最初に言っておきますが、これからここに書くことは、大学で習った心理学の知識(しかも忘れかけ)と、周囲の人間の経験などをつなぎ合わせて何となく思った内容であって、私自身は恋愛経験がトシのわりには貧弱であるため、多少は机上の空論的だろうなあとは思いますよ。 では題。 ピアノ・ファイア−非モテ非モテと言うけれど 「愛に見返りを求めてはならない」 「愛は求めるものではなくて、与えたり、感じ取ったりするもの」 という世間知を真摯に受け止めるだけで、どうでも良くなる問題ですよね、と。モテないってこと自体は。 という記事を読み、その後その記事についているコメントやブクマコメントに目を通してふと思ったことを書いてみます。 世間知が世間知として認識されるに至るには、実はそれなりの根拠があるんじゃないってことで。 私は幼い頃『ペリーヌ物語』というアニ

    実践的愛され研究その1 - wHite_caKe
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