しかし、ぼくにいわせれば、「キャラ萌え」を「抑圧」している時点で、「トータル」で作品を見る見方は阻害されているのである。 つまり、「キャラ萌え」とは作品の一要素なのだから、それを作品から排除してしまった時点で、既に「トータル」で作品を見れなくなっているのではないか。海燕氏の見解に反して、「キャラ萌え」が作品の一要素ではないことは確かだ。もちろん作品の全要素だと言いたいわけではない。「キャラ萌え」はそもそも作品の要素ではない*1。作品の要素であるところの「キャラ」に読者なり観客なりが萌える、それが「キャラ萌え」なのだから。 いま引用した箇所の少し前で海燕氏は次のように言っている。 しかし、考えてみれば「キャラ」とはどこまでもいっても「作品」の一要素なのであり、「キャラ」と「作品」をこのように対置させることはおかしいようにも思われる。「キャラ」が作品の一要素であるという主張じたいにも疑問を投げ