魚拓が壁一面に貼ってあるとか
![交際2ヶ月の彼女の部屋にあったらどん引きする物って何だろ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
苛烈化する「おっさん」バッシング いうまでもないが、現代社会は「差別を許さない社会」である。だが不思議なことに、ある特定の属性に対しては、ほとんどの人がその差別性を省みることなく、平気で差別的な言説を振りかざしている――その属性とは「おっさん」だ。 「古い価値観に固執し、過去の成功体験にすがり、年功秩序に盲従し、異質なものを受け入れない――それがおっさんの特徴だ」「この国の閉塞感や停滞感は、おっさんが政治と社会を牛耳っているからだ」など、各々が考える「社会悪」の発生源を「おっさん」に仮託している。 人を外見で判断してはいけない。所属で括ってはならない。人はそれぞれに個性があり価値がある。属性を根拠に偏見を抱き、バッシングすることは差別であり、けっして許される行為ではない――と声高に叫ばれる社会において、「おっさん」という属性をひとくくりにしたバッシングは、本来的には差別以外のなにものでもな
* 記事を書いたきっかけ・序文(1/7) この記事を書くきっかけとなったのは、フォロワーのこんなツイートだった。 フェミニズムと、表現規制反対って同居出来んのかな?矛盾した主張になるのかな? 原文まま。目に入ってすぐ、「同居できるよ!当たり前だよ!」そう言いたくなったが、特に知識がない状態でSNSを見ていると、自称フェミニストの過激な発言ばかりがクローズアップされ、フェミニストのことを表現規制の代弁者だと勘違いしてしまうのかもしれない。それは完全に間違っているのだが……。 社会や政治、ジェンダー、エロ、アカデミア等々、インターネットでは日々新たな論争が起きている。その端々を見ていて毎回目に余るのが、自分の気に入らない陣営から一番レベルが低い発言を引っ張ってきて、「こんなとんでもないことを言ってるぞ、やっぱり敵は卑劣な集団だ」と宣伝し合うあの晒し合いである。本当に意味がない。生産性がない。
婚活してた時に交際まで行ったのは3人くらいで 面談してたのはもっとたくさんいる 非モテだっていう男性は悪い人ではないんだけど 女性に対して疑ってみてる感じが常にあって (馬鹿にされるとか高圧的とかではないんだけど) 本当に自分のこと好きなのかな?とか 会話に出てきた話を次回見てきてくれたかな?とか デートの場所や食事ははどこに連れて行っても喜んでくれるのかな?とか 毎回試験受けてる空気みたいなのがあってが面倒で別れてしまった。 別れを提案すると「あなたもクリアできませんでしたか」みたいなことを言われる。 自分も非モテで男性経験ないけどあんなに試すようなもんなのかなー。 男性で婚活してる人も非モテの女性と付き合ったときになんか試されるもの? ここから追記 ちょっと前に書いたのが今こんなにブコメもトラバも貰えるとは思ってなくてびっくりしたよ。 非モテの定義についてちょっと言葉大きすぎとか、上か
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