毎年8月、日本では戦争と平和について考える機会が増える。そのとき話題になるのは広島・長崎の原爆被害であり、ソ連の参戦、そしてポツダム宣言受諾を述べる昭和天皇の声が流れた8月15日の終戦(敗戦)のことである。 “アジア・太平洋戦争”の実相 これらをもたらした戦争はふつう「太平洋戦争」と呼ばれ、日本国民の記憶としては「米国との無謀な戦い」というイメージが圧倒的に強い。しかし、この戦争を「真珠湾奇襲で始まり、広島・長崎の原爆で終わった日米戦争」としてとらえることは、戦争の一面しかとらえておらず、正確とはいいきれない。 そもそも1941年12月8日の真珠湾奇襲の約1時間前に、日本軍はシンガポール攻略を目指してマレー半島のコタバルに上陸を開始している。この事実こそが重要である。 日本は当時、東南アジア全域の軍事占領を目指したのであり、米国を倒しワシントンDCに日の丸を掲げるために戦争をしかけたわけで
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