北沢かえるの働けば自由になる日記 - 「悪意の殺人は限度があるけど、善意の殺人は限度がない」 くらやみのスキャナー:オマ頃#7 「ひと夏の神秘体験」 R30: 言い訳とか楽屋裏の話とか Grip Blog: 滝本弁護士へインタビュー Grip Blog: 松永英明さんへインタビュー 派生したエントリーからこういう順番で読んでみたけど、松永さんのインタビューで印象に残った所は、一連の「家族」に関する発言。 私がオウムを気に入ったのは、家族というものを重視しない。家族というのは今生の縁であって、たまたま親子に生まれました。でも来世はわかりません。家族同時に死んだら、人間だったとしてみんな同じ年齢から生まれるわけで、それがまた家族になるということはない。或いは敵同士が今度は恋人同士になるかもしれないとか、その辺は普通に仏教的な考えである。それに完全に則って行くと、家族とか関係ない。 松永: 親子
はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。 最初にこのコメントを引用して批判している記事を見た時には、誰かのイタズラだと思った。何者かが巧妙に梅田さんのふりをして書いたものを、本人の発言だと思いこんで批判しているのに違いないと考えた。 電車の中でiPhoneで流し読みしている時に見た記事だったので、すぐに確認することはできなかった。「何かtwitterに脆弱性があったのかなあ、それとももっと単純なトリックだろうか。mochioumedaじゃなくてumedamochioが本物じゃなかったっけ?まさか、アカウントを乗っ取られたなんてことはないよな。そうだったら、これはイタズラじゃ終わらないぞ
梅田さんの釣りにかかって、水村美苗の新作エッセイ『日本語が亡びるとき』を日本から取り寄せて読んだ。すでに各所で指摘されているとおり、論考にはかなり飛躍や不整合があって、これが論文ならrejectだと思う。だが、エッセイとしては面白く、読み応えがある。国語としての日本語の成り立ちとか、考えたことも無かった人には三章から五章のくだりは大変刺激的であろう。そんなこと前からよく知ってるよ、それにちょっと偏ってんじゃないの、という人も一章・二章を中心に「小説」として楽しめる。その中間の多くの人にとっては、問題意識をより多くの人と共有するのに役立つのではないか。 三章では、現在の「国語」である日本語がいかに成り立っているか、日本近代文学が「国民文学」としていかに日本という近代国家の成り立ちに寄与しているか、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』をベースにしつつ語っている。 古来人類は文字を持たず
日経トレンディネットに注目すべき特集記事が上がっている。 親の安心によって子供が“失う”もの 「携帯フィルタリング」の波紋 - 日経トレンディネット しかしながら、こうした若者の携帯サイト利用におけるポジティブな側面が、正しい形でメディアに取り上げられる機会はほとんどなかった。そのため多くの「親」は、普段自らが触れることのない携帯サイトのネガティブな報道のみに触れ、不安を増長させているように感じてならない。 本特集は、親世代の多くが普段触れることのない、携帯サイトにおける若者達の「日常の姿」を知ってもらうことを主旨とする。携帯サイトの悪い部分だけでなく、良い部分についてもよく理解し、フィルタリングをはじめとした「子供とケータイの付き合い方」について、改めて考えてもらうことができれば幸いだ。 まだ、途中までしか出てないが、携帯利用の「日常の姿」として、ポジティブなソーシャルサイトの事例がいく
ここ二日はひたすら『リトルバスターズ!』をやりこんだ。正直前半の時点では、Key&麻枝というブランド名の上にのっかっただけの凡作と思っていたのが、後半の怒濤の急転直下によって、あっさりその浅はかな思いこみは粉砕。度肝を抜かれたというか、まぁマジですごいです。 * 今回はネタばれ回避のためにも、ちょっと搦め手から書いてみよう。そもそもテーマ的にいうと、90年代の日本のエンターテインメントというのは、総じて「学校」に対して強いこだわりを見せていた。これは漫画でも小説も同じことだし、初期のノベルゲームもその例外ではない。その理由は、90年代に少年犯罪が頻発し、「学校」の周辺に物語の磁場が強く形成されたということもあるが、それ以上に、そもそも学校という組織が、ともすれば虚構の相貌を覗かせたがる不気味な世界だったからだ。 たとえば、学校の教室はどれも同じつくりをしているのに、クラスが違えばまっ
当サイトについて 当サイトは、2ちゃんねる突発板の「【東京千葉神奈川埼玉】 疑似家族オフinTDL」スレッドの情報纏めサイトです。 早乙女家(内藤家でも)父親役をやった人が適当にスレから引用しつつ作ってみました。 上記スレッドで父親役をやった際に苦労した点や早乙女家ではどのように進行させていったのか、を書いていきます。気力と暇がある内に。 (主に父者向けな内容ですが)今後、現れるであろう新家族の皆さんのお役に立てれば幸いです。 ▲過去スレ01【東京千葉神奈川埼玉】 疑似家族オフinTDL>> dat/ HTML ▲過去スレ02【東京千葉神奈川埼玉】疑似家族オフinTDL 2本目>> dat/ HTML ▲過去スレ03【東京千葉神奈川埼玉】疑似家族オフinTDL 3家族目>> dat/ HTML ▲過去スレ04【東京千葉神奈川埼玉】疑似家族オフinTDL 4家族目>> dat/ HTML ▲
血縁(けつえん)とは、共通の祖先を有している関係、あるいは有しているものと信じられている関係を指す。 中世以前の社会や、開発途上国では、社会で重要な位置を占める。子供・老人・病人・障害者がいる場合にも、国家に福祉政策の観点がないからである。必要性から、このような社会では血縁を拡大解釈し、濃密な関係を維持しようとする(大家族主義)が、先進国(特に新中間層の核家族生活者)では必要性が少なく、プライバシーに干渉されることを嫌う傾向が強いため、縮小解釈して淡白な関係に留めようとする。 血縁と地縁[編集] 日本においては、中世武家社会の成立とともに血縁よりも地縁を優先するような社会が形成された。氏族の名は、血縁関係を意味する「姓」ではなく、多くは地名に由来する「苗字」を通称するようになり、地縁の中心として村々には鎮守が設けられ、各地で祭典がおこなわれるようになっていった。「遠い親戚よりも近くの他人」
昨日実家から京都へ戻ってきたのですが、誰もいないアパートの部屋が広く感じられた……何てこともなく(事実狭い)、割と快適に過ごしています。家族と暮らすメリットというのもある、けれど、ひとりで暮らす人生がつまらないというのは偏見だ、と僕は思うのですよ。 いきなり自分語りから始まりましたが、つまり現代では「家族」を無条件で肯定するような見方はリアリティを失いつつある、という話です。「家族」がユートピアであるための条件はあまりに多く、もし「家族」がユートピアであると思うのであれば、それは誰かの努力によって必死に支えられているか、あるいは単なる思い込みじゃないの?と。 「家族や絆をテーマとして取り上げることが多い」とwikipediaに書かれている麻枝准、そしてkey作品においてもそれは例外ではありません。いや、むしろ家族を肯定しようとするkey作品においてこそ、家族という概念は変質せざるを得ないの
「歴史的に見て初婚年齢が上昇したのは太平洋戦争の最中だった。異常事態に陥ると、夫婦や家族を作ることが意味をなさず、家族が崩壊する。現在の初婚年齢の上昇は、若年層にとっては戦時中に匹敵する閉塞感のためではないか」(ニッセイ基礎研究所・石川達哉主任研究員) 週刊東洋経済(10/25)が、「家族崩壊 考え直しませんか?ニッポンの働き方」と題した力の入った特集を組んでいます。 国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、就職氷河期世代の1975年生まれの女性の生涯未婚率は20%になり、1955年生まれの女性5.8%とくらべて3倍強もの女性が結婚しなくなります。また、1975年生まれの女性のうち34.3%(じつに3人に1人)が子どもを産まなくなります(1955年生まれの女性は12.7%。平均初婚年齢は1975年生まれ27.5歳、1955年生まれ24.9歳)。この数字は、景気が悪化するとさらに上回るこ
N経済新聞社から難波の個室ビデオ放火殺人事件についての電話コメントを求められる。 別にこの事件に興味ないんですけど・・・と言いながら結局40分くらいしゃべってしまう。 容疑者は46歳で、もとM下電器のサラリーマンである。ちゃんと学校を出て、結婚もし、妻子もあり、家もあった「中流の人」である。 それがここまで一気に転落する。 転落を途中で食い止めるための「セーフティネット」が機能していなかったということである。 親から家を相続して、それを売ってしばらく糊口をしのいだ時期がある。親からの贈与が「セーフティネット」として一時的には機能したのである。 けれども、それに続くものはもうなかった。 現代社会に「セーフティネットがない」ということ、その整備が必要であることは政治学者も社会学者も心理学者も指摘する。 けれども、その場合の「セーフティネット」とはいったい何のことなのだろう。 行政による貧窮者へ
Ver 0.03 2006/07/12 Ver 0.02 2004/11/28 Ver 0.01 2004/10/20 中川 譲 0. はじめに 底本 『CODE - インターネットの合法・違法・プライバシー』 ローレンス・レッシグ 著 山形浩生・柏木亮二 訳 翔泳社 (2001/03/27) 初版・第2刷 ISBN 4881359932 ローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig) 1961年6月3日生まれ 経済学・経営学学士、哲学修士、法学博士 スタンフォード大ロー・スクール教授 余談だが、スタンフォードはレッシグを招くためにStanford Center for Internet and Societyを設立している(cf. “Luring Lessig”)。 2004年4月からフリーソフトウェア財団理事 http://www.le
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