デリダはハイデガーを批判的に受け継いでいると言われるが、ハイデガーと同じくスピノザへの言及は少ない。 スピノザと同じユダヤ人異教徒=マラーノでも戦略が逆なのだ。 批判哲学を受け継ぐハイデガー=デリダのラインは、時間軸を大切にする。 一挙に(幾何学的に)真理を把握するスピノザのような実在論は危険なのだ。スピノザの哲学を導入すればハイデガー、デリダの哲学は一瞬で終わってしまう。極端に言えば、ハイデガーはスピノザを無視することで膨大な講義が可能となり、デリダもスピノザを無視することで物書きとして延々と書き続けられたのだ。 しかし、原理的に外部のないデリダのエクリチュールが体現するのは、後述するように、スピノザ的心身並行論以外の何ものでもない。 歴史的にはニーチェはスピノザに親近感を覚え、ヘーゲルはスピノザの心身並行論を一挙に解消しようとし、ラカンはスピノザの決定論と平行論を精神分析の基礎に据える