2014年1月22日のブックマーク (2件)

  • 『明日、ママがいない』に呆れ果てた « 破壊屋

    『明日、ママがいない』騒動について雑感 『明日、ママがいない』への抗議に対する日テレビの態度は、表現の自由を守るという意味で良かった。内部的にはどうか知らんが広報的には日テレビが責任を被っていて、製作現場を守っているのも好感持てる。養護施設側からの質問は無視しすぎだけど。 俺は攻撃的なフィクションが大好きだけど、フィクションに抗議する児童養護施設協議会の怒りも当然だと思う。関係者たちの士気やプライドを守るためには強めの行動を起こす必要があるだろう。でも放送中止要求はやりすぎ。 このドラマで問題となっている描写を「ファンタジーだから」と擁護している人が多いけど、あれがファンタジーという感覚をこのドラマの想定視聴者層全員に適用するのは無理だよ。ファンタジーだと割り切るには冷めた視点が必要で、それを持っていない視聴者は多い。これは数年前に起きたケータイ小説をリアルだと感じる世代と、ギャグだと

    『明日、ママがいない』に呆れ果てた « 破壊屋
    jankoto
    jankoto 2014/01/22
    潜在的には誰もが親に棄てられたと思ってるメンヘラ社会日本の縮図として評価できる
  • 従属と謝罪について - 内田樹の研究室

    朝日新聞に「安倍首相の靖国参拝」についてコメントを求められたので、すこし長めのものを書いた。もう掲載されたので、ブログでも公開することにする。 東京裁判は戦後日に対して二つの義務を課した。 一つは、敗戦国として戦勝国アメリカに対して半永久的に「従属」の構えをとること。 一つは侵略国としてアジアの隣国(とりわけ中国韓国)に対して半永久的に「謝罪」の姿勢を示し続けること。 従属と謝罪、それが、東京裁判が戦後日人に課した国民的義務であった。 けれども、日人はそれを「あまりに過大な責務」だと感じた。二つのうちせめて一つに絞って欲しいと(口には出さなかったが)願ってきた。 ある人々は「もし、日人に対米従属を求めるなら、日がアジア隣国に対して倫理的疚しさを持ち続ける義務からは解放して欲しい」と思った。別の人々は「もし、東アジアの隣国との信頼と友好を深めることを日に求めるなら、外交と国防に

    jankoto
    jankoto 2014/01/22
    この話は与太だが、なぜ「西側か東側か」という二者択一にしかならないのかは確かに不思議だ