ブックマーク / bonjin5963.hatenablog.com (330)

  • 夕月夜心もしのに・・・巻第8-1552 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露(しらつゆ)の置くこの庭に蟋蟀(こほろぎ)鳴くも 要旨 >>> 月の出ている暮れ方、白露が降りたこの庭にコオロギが鳴いているのを聞いていると心がしんみりする。 鑑賞 >>> 湯原王(ゆはらのおおきみ)の「蟋蟀(こほろぎ)の歌」。「心もしのに」の「しのに」は、しおれてしまうばかりに、の意。「しのに」は『万葉集』中10例見られますが、そのうち9例が「心もしのに」の形であり、定型表現だったことが知られます。「こほろぎ」は、秋に鳴く虫の総称で、松虫や鈴虫なども含んでいたようです。「鳴くも」の「も」は、詠嘆。斎藤茂吉はこの歌を評し、「後世の歌なら、助詞などが多くて弛むところであろうが、そこを緊張せしめつつ、句と句とのあいだに間隔を置いたりして、端正で且つ感の深い歌調を全うしている」と述べています。 湯原王は、天智天皇の孫、志貴皇子の子で、兄弟に光仁天皇

    夕月夜心もしのに・・・巻第8-1552 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/09/10
  • 東歌(47)・・・巻第14-3432 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 足柄(あしがり)の吾(わ)を可鶏山(かけやま)のかづの木の吾(わ)をかづさねも門(かづ)さかずとも 要旨 >>> 足柄の、私に心を懸けているという可鶏山のように、私をかどわかして下さい、門(かど)を閉ざしていようとも。 鑑賞 >>> 相模の国の歌。「吾を可鶏山」は所在未詳。「かづの木」は「かぢの木」の東北訛りで、ウルシの一種であるヌレデを指すといわれます。上3句が「かづさねも」を導く序詞か。「かづさねも」の意味が分からず、誘う意の「かどふ」と同じ意味ともいわれます。「門(かづ)」は東語。難解な歌ですが、女が男を口説き、自分を盗み出してくれと訴えている歌と解するほかないようです。 東海道と東山道の旧国名比較 ◆東海道 伊賀(三重)/伊勢(三重)/志摩(三重)/尾張(愛知)/三河(愛知)/遠江(静岡)/駿河(静岡)/伊豆(静岡・東京)/甲斐(山梨)/相模(神奈川)/武蔵(埼玉・東

    東歌(47)・・・巻第14-3432 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/09/09
  • 君が来まさむ避道にせむ・・・巻第11-2363 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 岡(をか)の崎(さき)廻(た)みたる道(みち)を人な通ひそ ありつつも君が来(き)まさむ避道(よきみち)にせむ 要旨 >>> 岡の向こうを回っていく道を、誰も通らないでほしい。そのままにしておいて、あの人がやってくる特別な道にしておきたいから。 鑑賞 >>> 旋頭歌(5・7・7・5・7・7)形式の歌で、『古歌集』から採ったとあります。『古歌集』については諸説ありますが、『万葉集』編纂の資料になった歌集で、飛鳥・藤原京の時代の歌を収めたもののようです。「岡の崎」は、岡の突き出た所。「廻む」は迂回する。「人な通ひそ」の「な~そ」は禁止。「ありつつも」は、そのままにしておいて。「避道」は、人が普通に往き来する道ではなく、人目を避ける特別な道。 巻第11、12の相聞歌の中には「道」に関わる歌が多く見られます。「避道(よきみち)」「直道(たたぢ)」という、男が女のもとに通う特別の道をあ

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    japan-eat 2024/09/08
  • 筑波嶺の裾廻の田井に・・・巻第9-1757~1758 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1757 草枕 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる 事もありやと 筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば 尾花(をばな)散る 師付(しつく)の田居(たゐ)に 雁(かり)がねも 寒く来(き)鳴きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽(とば)の淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の 良(よ)けくを見れば 長き日(け)に 思ひ積み来(こ)し 憂へは止(や)みぬ 1758 筑波嶺(つくはね)の裾廻(すそみ)の田井(たゐ)に秋田刈る妹がり遣(や)らむ黄葉(もみち)手折らな 要旨 >>> 〈1757〉旅の憂いを慰めるよすがもあるかと思い、筑波嶺を登って眺めると、すすきの散った師付の田んぼに、雁が飛んで来て寒々と鳴いている。新治の鳥羽の湖も見えて、秋風に白波が立っている。そんなすばらしい景色を観ていたら、何日もの長旅で積もりに積っていた憂いも消えていた。 〈1758〉筑波山の裾まわりの田んぼの

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    japan-eat 2024/09/07
  • 秋の田の穂田を雁がね・・・巻第8-1539~1540 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1539 秋の田の穂田(ほた)を雁(かり)がね闇(くら)けくに夜(よ)のほどろにも鳴き渡るかも 1540 今朝(けさ)の朝明(あさけ)雁(かり)が音(ね)寒く聞きしなへ野辺(のへ)の浅茅(あさぢ)ぞ色づきにける 要旨 >>> 〈1539〉穂の出た秋の田を、雁がまだ夜の明けきらない暗いなかを鳴き渡っていくよ。 〈1540〉今朝の明け方、雁の鳴く声が寒々と聞えたが、それと時を同じくして野辺の浅茅は色づいたことだ。 鑑賞 >>> 聖武天皇の御製歌。1539の「秋の田の穂田を」は「雁」を導く序詞。「穂田」は、稲の穂となった田。「雁がね」は雁で、「刈り」と「雁」を掛けています。「夜のほどろ」は、夜の闇が白み始めるころ。1540の「朝明」は朝明けの約で、明け方、早朝。「なへ」は、とともに、と同時に。窪田空穂は、「上の作とともに、詩情の豊かな、気品ある御製である」と評しています。 「御製歌

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    japan-eat 2024/09/06
  • 防人の歌(39)・・・巻第20-4382 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> ふたほがみ悪(あ)しけ人なりあたゆまひ我(わ)がする時に防人に差(さ)す 要旨 >>> ふたほがみは意地の悪い人だ。急病に苦しんでいる私を防人に指名するなんて。 鑑賞 >>> 下野国の防人、那須郡(なすのこおり)の上丁、大伴部広成(おおともべのひろなり)の歌。「ふたほがみ」は語義未詳ながら、「かみ」を「守」として長官・首長とする説や、二心ある人の意とする説などがあります。「悪しけ」は「悪しき」の方言。「あたゆまひ」は、急病の意か。「差す」は、指名する。病気の身でありながら防人に指名されたことに強い不満を言っており、多くの防人歌が防人に任じられたことを運命的なものとして受け入れている中ではめずらしいとされます。また、このような思い切った表現で怒りを公にすることが許されたこの時代の大らかさが感じられる歌です。 軍防令による兵役義務 大宝令における「軍防令」の規定では、正丁(21歳

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    japan-eat 2024/09/05
  • 岩垣淵の隠りてある妻・・・巻第11-2508~2509 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 2508 すめろぎの神(かみ)の御門(みかど)を畏(かしこ)みとさもらふ時に逢へる君かも 2509 まそ鏡(かがみ)見(み)とも言はめや玉かぎる岩垣淵(いはがきふち)の隠(こも)りてある 要旨 >>> 〈2508〉恐れ多くも宮殿にお仕えしている時に、私とこんな契りを結んだあなたは・・・。 〈2509〉このような契りを結んだといって人に言うものか、岩の垣根で囲んだ淵のように隠しているだから。 鑑賞 >>> 『柿人麻呂歌集』から、宮中で職場恋愛に落ちた男女の問答歌。2508が女の歌で、2509が男の歌。2508の「さもらふ」は、奉仕する。「逢ふ」というのは古語では「深い男女関係になる」という意味なので、恐れ多くも宮中内で、しかも勤務中に体の関係をもっているというのです。男は人麻呂で、女の歌もあるいは人麻呂が物語風に作ったものかもしれません。人麻呂は天武期の内廷に仕えていたよ

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    japan-eat 2024/09/04
  • 東歌(46)・・・巻第14-3366 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> ま愛(かな)しみさ寝(ね)に我(わ)は行く鎌倉の水無瀬川(みなのせがは)に潮(しほ)満つなむか 要旨 >>> あの子が可愛いので共寝しに行こうと思うが、鎌倉のあの水無瀬川は、今ごろ潮が満ちていることだろうか。 鑑賞 >>> 相模の国(神奈川県)の歌。「ま愛しみ」の「ま」は、接頭語。「さ寝」は、共寝の慣用語。「水無瀬川」は、鎌倉市の稲瀬川。現在は徒歩でも簡単に割られる小さな川ですが、この時代には海岸線がずっと陸地に入り込んでおり、もっと大きな川だったかもしれません。海岸近くに住む恋人たちにとって、潮の干満が大きな関心事だったことが窺えます なお、「東歌」の特色の一つとして、この歌のように、男女の性行為を直接に意味する「寝」の語が用いられている点が指摘されており(230首中28首)、風雅を気取らないストレートな表現が、都および都周辺の歌とは大きく異なっています。 巻第14の編纂者

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    japan-eat 2024/09/03
  • 都辺に君は去にしを・・・巻第12-3183~3185 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3183 都辺(みやこへ)に君は去(い)にしを誰(た)が解(と)けか我(わ)が紐(ひも)の緒(を)の結(ゆ)ふ手たゆきも 3184 草枕(くさまくら)旅行く君を人目(ひとめ)多み袖(そで)振らずしてあまた悔(くや)しも 3185 まそ鏡手に取り持ちて見れど飽(あ)かぬ君に後(おく)れて生(い)けりともなし 要旨 >>> 〈3183〉あなたは都に行ってしまったというのに、いったい誰が解こうとするのでしょう、すぐ解けてしまう私の着物の紐、この紐の緒を結び直すのがもどかしい。 〈3184〉草を枕の旅に出て行くあなたを、人目が多いので袖も振らずじまいに別れてしまい、どうしようもなく悔やまれます。 〈3185〉澄んだ鏡を手に取り持って見るように、いつまでも見飽きることのないあの方にとり残されて、生きている気もいたしません。 鑑賞 >>> 「別れを悲しむ」歌。3183の「たゆき」はもどか

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    japan-eat 2024/09/01
  • 春霞井の上ゆ直に道はあれど・・・巻第7-1256 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 春霞(はるかすみ)井(ゐ)の上ゆ直(ただ)に道はあれど君に逢はむとた廻(もとほ)り来(く)も 要旨 >>> 水汲み場から家にまっすぐ道は通じていますが、あなたにお逢いしたいと思って回り道をしてやって来ました。 鑑賞 >>> 「古歌集に出づ」とある歌。「春霞」は、懸かっているの意で「井(ゐ)」にかかる枕詞。「井」は、泉や流水から水を汲みとるところ。「井の上ゆ」の「ゆ」は、~から、~を通って。「た廻り」の「た」は接頭語、「廻り」は、回り道をして、迂回して。窪田空穂は、「上代は飲用水を汲むのは娘の役と定まっていたので、この作者もそれをしているのである。歌は、水を汲んで家へ帰る途中の心で、井から家へまっすぐに道は続いているのであるが、その娘は同じ部落の中に言い交わしている男があるので、ひょっと顔が見られようかと頼んで、わざと男の家のあるほうの道へと、まわり道をして行くというのである。

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    japan-eat 2024/08/31
  • 草枕旅行く君を愛しみ・・・巻第4-566~567 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 566 草枕(くさまくら)旅行く君を愛(うるは)しみたぐひてぞ来(こ)し志賀(しか)の浜辺を 567 周防(すは)なる岩国山(いはくにやま)を越えむ日は手向(たむ)けよくせよ荒(あら)しその道 要旨 >>> 〈566〉都に向かって旅立つあなた方が懐かしいので、つい、志賀島の浜辺まで寄り添って来てしまいました。 〈567〉周防の国の岩国山を越えていく日には、峠の神に心を込めてお供え物をしてください。険しくて危険な道ですから。 鑑賞 >>> 題詞に「大宰大監(だざいのだいげん)大伴宿禰百代ら、駅使(はゆまづかひ)に贈る歌2首」とあり、566が大宰大監( 大宰府の3等官)大伴百代(おおとものももよ)の歌、567が小典(同4等官)山口忌寸若麻呂(やまぐちのいみきわかまろ)の歌です。「駅使」は、駅馬で都から大宰府に馳せ参じた使いのこと。 左注にこれらの歌の作歌事情の説明があり、それによ

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    japan-eat 2024/08/28
  • 我が背子は待てど来まさず・・・巻第13-3280~3283 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3280 我(わ)が背子(せこ)は 待てど来まさず 天(あま)の原 振り放(さ)け見れば ぬばたまの 夜(よ)も更(ふ)けにけり さ夜(よ)ふけて あらしの吹けば 立ち待てる 我(わ)が衣手(ころもで)に 降る雪は 凍(こほ)りわたりぬ 今さらに 君(きみ)来(き)まさめや さな葛(かづら) 後(のち)も逢はむと 慰(なぐさ)むる 心を持ちて ま袖(そで)もち 床(とこ)うち掃(はら)ひ 現(うつつ)には 君には逢はず 夢(いめ)にだに 逢ふと見えこそ 天(あめ)の足(た)り夜(よ)を 3281 我(わ)が背子(せこ)は 待てど来まさず 雁(かり)が音(ね)も 響(とよ)みて寒し ぬばたまの 夜(よ)も更(ふ)けにけり さ夜(よ)更(ふ)くと あらしの吹けば 立ち待つに 我(わ)が衣手(ころもで)に 置く霜(しも)も 氷(ひ)にさえ渡り 降る雪も 凍(こほ)り渡りぬ 今さらに

    我が背子は待てど来まさず・・・巻第13-3280~3283 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/26
  • 東の市の植木の木垂るまで・・・巻第3-310 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 東(ひむがし)の市(いち)の植木(うゑき)の木垂(こだ)るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり 要旨 >>> 東の市の並木が成長して垂れ下がるまで、あなたに逢わずにいたのだから、恋しく思うのは当然だ。 鑑賞 >>> 門部王(かどべのおおきみ)の歌。門部王は、長皇子の孫とされますが、敏達天皇の孫である百済王の後裔ともいわれます。神亀のころに「風流侍従」として長田王・佐為王・桜井王ら10余人と共に聖武天皇に仕え、天平11年(739年)に兄の高安王とともに大原真人の氏姓をあたえられました。『 万葉集』には5首の歌を残しています。 310は「東の市の樹を詠みて作る」歌。「東の市」は、平城京の東西二つにに置かれた市のうちの東の市。「植木」は、道に植える木。「木垂る」は、木が老いた様子のこと。「うべ」は、もっともだ。4年の国守の任期を終え、京に戻って東の市の並木を見て詠んだ歌とされます。 風流

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    japan-eat 2024/08/25
  • 東歌(44)・・・巻第14-3372 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 相模道(さがむぢ)の余呂伎(よろぎ)の浜の真砂(まなご)なす児(こ)らは愛(かな)しく思はるるかも 要旨 >>> 相模の余呂伎の浜の美しい真砂のように、あの子が愛しく思われてならない。 鑑賞 >>> 相模の国(神奈川県の大部分)の歌。「相模道」は、相模国の意。「余呂伎の浜」は、神奈川県の大礒町・二宮町あたりの相模湾沿いの海浜。「真砂」は砂の美称。「真砂なす児」は上掲の解釈のほか、「まなご」を「真砂(まなご)」と「愛子(まなご)」の掛詞と見る、あるいは、「まなご」は「小石」を意味する方言と見て、色とりどりの小石のように美しい彼女と見る、また、砂のようにたくさんの女性たちと解するものなどがあります。 巻第14と東歌について 巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれ

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    japan-eat 2024/08/24
  • 藤原京より寧楽宮に遷りし時の歌・・・巻第1-79~80 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 79 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 親(にき)びにし 家を置き こもりくの 泊瀬(はつせ)の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈(かはくま)の 八十隅(やそくま)おちず 万(よろづ)たび かへり見しつつ 玉桙(たまほこ)の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣(ころも)の上ゆ 朝月夜(あさづくよ) さやかに見れば 栲(たへ)のほに 夜(よる)の霜降り 石床(いはとこ)と 川の氷(ひ)凝(こご)り 寒き夜(よ)を 休むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに いませ大君よ 我も通はむ 80 あをによし奈良の宮には万代(よろづよ)に我(わ)れも通はむ忘ると思うな 要旨 >>> 〈79〉我が大君の仰せを恐れ謹んで、慣れ親しんだ我が家を後にし、初瀬川に舟を浮かべて我らが行く川の、次から次へと続く曲がり角にさしかかるたびに振り返

    藤原京より寧楽宮に遷りし時の歌・・・巻第1-79~80 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/23
  • 防人の歌(37)・・・巻第20-4421 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 我が行きの息づくしかば足柄(あしがら)の峰(みね)延(は)ほ雲を見とと偲(しの)はね 要旨 >>> おれが旅に出て嘆かわしくなったら、足柄山の峰を這う雲を見ながら、このおれを偲んでおくれ。 鑑賞 >>> 武蔵の国の防人、都筑郡(つつくのこおり)の上丁、服部於由(はとりべのおゆ)の歌。「行き」は旅。「息づくし」は「息づかし」の方言で、嘆かわしの意。「足柄の峰」は、神奈川県と静岡県の境にある足柄山。この時代、東国から西の方に行くには、東山道なら碓氷の坂(碓氷峠)、東海道なら足柄の坂(足柄峠)のいずれかを越えて行かねばなりませんでした。箱根路が開かれるのは後の時代のことです。「延ほ」は「延ふ」の方言。「見とと」は「見つつ」の方言。 東海道・東山道の旧国名 ◆東海道 伊賀(三重) 伊勢(三重) 志摩(三重) 尾張(愛知) 三河(愛知) 遠江(静岡) 駿河(静岡) 伊豆(静岡・東京)

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    japan-eat 2024/08/22
  • 霰打つ安良礼松原住吉の・・・巻第1-65 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 霰(あられ)打つ安良礼(あられ)松原(まつばら)住吉(すみのゑ)の弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも 要旨 >>> 安良礼の浜の松原は、住吉の愛らしい弟日娘と同じに、いくら見ても見飽きることがない。 鑑賞 >>> 長皇子(ながのみこ)の歌。摂津の住吉で、自らの旅情を慰めるため、ここにいた弟日娘を侍らせ、一緒に安良礼松原を眺めて詠んだ歌。「あられうつ」は「安良礼」にかけた枕詞。実際にあられが降っていたというのではなく、「安良礼」を引き出すための、皇子による造語ともいわれます。「安良礼松原」は、大阪市住吉区の松原。「弟日娘」は未詳ながら、住吉の港の遊行女婦で、また長皇子に歌を贈った清江娘子(巻第1-69)と同一人物ではないかとも考えられています。「見れど飽かぬ」は、見ても見ても見飽きない意の慣用成句。斎藤茂吉はこの歌を評し、「不思議にも軽浮に艶めいたものがなく、むしろ勁健(

    霰打つ安良礼松原住吉の・・・巻第1-65 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/21
  • 斎藤茂吉による万葉秀歌(1) - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野(巻第1-4)~中皇命 山越の風を時じみ寝る夜落ちず家なる妹をかけて偲びつ(巻第1-6)~軍王 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ(巻第1-7)~額田王 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(巻第1-8)~額田王 紀の国の山越えて行け我が背子がい立たせりけむ厳橿が(巻第1-9)~額田王 吾背子は仮廬作らす草なくば小松が下の草を刈らさね(巻第1-11)~中皇命 吾が欲りし野島は見せつ底ふかき阿胡根の浦の珠ぞ拾はぬ(巻第1-12)~中皇命 香具山と耳梨山と会ひしとき立ちて見に来し印南国原(巻第1-14)~中大兄皇子 わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜あきらけくこそ(巻第1-15)~中大兄皇子 三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなも隠さふべしや(巻第1-18)~額田王 斎藤茂吉 斎藤茂吉(1882年~19

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    japan-eat 2024/08/20
  • 東歌(43)・・・巻第14-3421~3423 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3421 伊香保嶺(いかほね)に雷(かみ)な鳴りそね我(わ)が上(へ)には故(ゆゑ)はなけども子らによりてぞ 3422 伊香保風(いかほかぜ)吹く日吹かぬ日ありと言へど我(あ)が恋のみし時なかりけり 3423 上(かみ)つ毛野(けの)伊香保の嶺(ね)ろに降ろ雪(よき)の行き過ぎかてぬ妹(いも)が家のあたり 要旨 >>> 〈3421〉伊香保の嶺に雷が鳴らないでくれ。私には差し支えないが、あの子のために。 〈3422〉伊香保の風は吹く日も吹かぬ日もあるというが、私の恋心はやむときがない。 〈3423〉伊香保のあの嶺に降る雪ではないが、とても行き過ぎ難い、あの子の家のあたりは。 鑑賞 >>> 上野(かみつけの)の国の歌。3421の「伊香保嶺」は、群馬県の榛名山。「な鳴りそね」の「な~そね」は禁止の願望。「故はなけども」は、支障はないが。群馬県の山間部は雷の名所として知られており、国

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    japan-eat 2024/08/19
  • 岡本天皇の御製歌・・・巻第4-485~486 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 485 神代(かみよ)より 生(あ)れ継(つ)ぎ来(く)れば 人さはに 国には満(み)ちて あぢ群(むら)の 騒(さわ)きは行けど 我(あ)が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜(よる)は 夜(よ)の明くる極(きは)み 思ひつつ 寐(い)も寝(ね)かてにと 明かしつらくも 長きこの夜を 486 山の端(は)にあぢ群(むら)騒(さわ)き行くなれど我(あ)れはさぶしゑ君にしあらねば 487 近江路(あふみぢ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)日(け)のころごろは恋ひつつもあらむ 要旨 >>> 〈485〉神代の昔から次々とこの世に生まれ継いできて、国には人が多く満ちあふれている。まるであじ鴨の群れのように騒がしく行き来しているけれど、どの人も私がお慕いする我が君ではないので、昼は昼で日が暮れるまで、夜は夜で明け方まで、あなたを思い続けて寝られないまま、とうとう

    岡本天皇の御製歌・・・巻第4-485~486 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/16