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  • 東の市の植木の木垂るまで・・・巻第3-310 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 東(ひむがし)の市(いち)の植木(うゑき)の木垂(こだ)るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり 要旨 >>> 東の市の並木が成長して垂れ下がるまで、あなたに逢わずにいたのだから、恋しく思うのは当然だ。 鑑賞 >>> 門部王(かどべのおおきみ)の歌。門部王は、長皇子の孫とされますが、敏達天皇の孫である百済王の後裔ともいわれます。神亀のころに「風流侍従」として長田王・佐為王・桜井王ら10余人と共に聖武天皇に仕え、天平11年(739年)に兄の高安王とともに大原真人の氏姓をあたえられました。『 万葉集』には5首の歌を残しています。 310は「東の市の樹を詠みて作る」歌。「東の市」は、平城京の東西二つにに置かれた市のうちの東の市。「植木」は、道に植える木。「木垂る」は、木が老いた様子のこと。「うべ」は、もっともだ。4年の国守の任期を終え、京に戻って東の市の並木を見て詠んだ歌とされます。 風流

    東の市の植木の木垂るまで・・・巻第3-310 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/25
  • 東歌(44)・・・巻第14-3372 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 相模道(さがむぢ)の余呂伎(よろぎ)の浜の真砂(まなご)なす児(こ)らは愛(かな)しく思はるるかも 要旨 >>> 相模の余呂伎の浜の美しい真砂のように、あの子が愛しく思われてならない。 鑑賞 >>> 相模の国(神奈川県の大部分)の歌。「相模道」は、相模国の意。「余呂伎の浜」は、神奈川県の大礒町・二宮町あたりの相模湾沿いの海浜。「真砂」は砂の美称。「真砂なす児」は上掲の解釈のほか、「まなご」を「真砂(まなご)」と「愛子(まなご)」の掛詞と見る、あるいは、「まなご」は「小石」を意味する方言と見て、色とりどりの小石のように美しい彼女と見る、また、砂のようにたくさんの女性たちと解するものなどがあります。 巻第14と東歌について 巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれ

    東歌(44)・・・巻第14-3372 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/24
  • 藤原京より寧楽宮に遷りし時の歌・・・巻第1-79~80 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 79 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 親(にき)びにし 家を置き こもりくの 泊瀬(はつせ)の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈(かはくま)の 八十隅(やそくま)おちず 万(よろづ)たび かへり見しつつ 玉桙(たまほこ)の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣(ころも)の上ゆ 朝月夜(あさづくよ) さやかに見れば 栲(たへ)のほに 夜(よる)の霜降り 石床(いはとこ)と 川の氷(ひ)凝(こご)り 寒き夜(よ)を 休むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに いませ大君よ 我も通はむ 80 あをによし奈良の宮には万代(よろづよ)に我(わ)れも通はむ忘ると思うな 要旨 >>> 〈79〉我が大君の仰せを恐れ謹んで、慣れ親しんだ我が家を後にし、初瀬川に舟を浮かべて我らが行く川の、次から次へと続く曲がり角にさしかかるたびに振り返

    藤原京より寧楽宮に遷りし時の歌・・・巻第1-79~80 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/23
  • 防人の歌(37)・・・巻第20-4421 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 我が行きの息づくしかば足柄(あしがら)の峰(みね)延(は)ほ雲を見とと偲(しの)はね 要旨 >>> おれが旅に出て嘆かわしくなったら、足柄山の峰を這う雲を見ながら、このおれを偲んでおくれ。 鑑賞 >>> 武蔵の国の防人、都筑郡(つつくのこおり)の上丁、服部於由(はとりべのおゆ)の歌。「行き」は旅。「息づくし」は「息づかし」の方言で、嘆かわしの意。「足柄の峰」は、神奈川県と静岡県の境にある足柄山。この時代、東国から西の方に行くには、東山道なら碓氷の坂(碓氷峠)、東海道なら足柄の坂(足柄峠)のいずれかを越えて行かねばなりませんでした。箱根路が開かれるのは後の時代のことです。「延ほ」は「延ふ」の方言。「見とと」は「見つつ」の方言。 東海道・東山道の旧国名 ◆東海道 伊賀(三重) 伊勢(三重) 志摩(三重) 尾張(愛知) 三河(愛知) 遠江(静岡) 駿河(静岡) 伊豆(静岡・東京)

    防人の歌(37)・・・巻第20-4421 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/22
  • 霰打つ安良礼松原住吉の・・・巻第1-65 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 霰(あられ)打つ安良礼(あられ)松原(まつばら)住吉(すみのゑ)の弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも 要旨 >>> 安良礼の浜の松原は、住吉の愛らしい弟日娘と同じに、いくら見ても見飽きることがない。 鑑賞 >>> 長皇子(ながのみこ)の歌。摂津の住吉で、自らの旅情を慰めるため、ここにいた弟日娘を侍らせ、一緒に安良礼松原を眺めて詠んだ歌。「あられうつ」は「安良礼」にかけた枕詞。実際にあられが降っていたというのではなく、「安良礼」を引き出すための、皇子による造語ともいわれます。「安良礼松原」は、大阪市住吉区の松原。「弟日娘」は未詳ながら、住吉の港の遊行女婦で、また長皇子に歌を贈った清江娘子(巻第1-69)と同一人物ではないかとも考えられています。「見れど飽かぬ」は、見ても見ても見飽きない意の慣用成句。斎藤茂吉はこの歌を評し、「不思議にも軽浮に艶めいたものがなく、むしろ勁健(

    霰打つ安良礼松原住吉の・・・巻第1-65 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/21
  • 斎藤茂吉による万葉秀歌(1) - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野(巻第1-4)~中皇命 山越の風を時じみ寝る夜落ちず家なる妹をかけて偲びつ(巻第1-6)~軍王 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ(巻第1-7)~額田王 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(巻第1-8)~額田王 紀の国の山越えて行け我が背子がい立たせりけむ厳橿が(巻第1-9)~額田王 吾背子は仮廬作らす草なくば小松が下の草を刈らさね(巻第1-11)~中皇命 吾が欲りし野島は見せつ底ふかき阿胡根の浦の珠ぞ拾はぬ(巻第1-12)~中皇命 香具山と耳梨山と会ひしとき立ちて見に来し印南国原(巻第1-14)~中大兄皇子 わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜あきらけくこそ(巻第1-15)~中大兄皇子 三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなも隠さふべしや(巻第1-18)~額田王 斎藤茂吉 斎藤茂吉(1882年~19

    斎藤茂吉による万葉秀歌(1) - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/20
  • 東歌(43)・・・巻第14-3421~3423 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3421 伊香保嶺(いかほね)に雷(かみ)な鳴りそね我(わ)が上(へ)には故(ゆゑ)はなけども子らによりてぞ 3422 伊香保風(いかほかぜ)吹く日吹かぬ日ありと言へど我(あ)が恋のみし時なかりけり 3423 上(かみ)つ毛野(けの)伊香保の嶺(ね)ろに降ろ雪(よき)の行き過ぎかてぬ妹(いも)が家のあたり 要旨 >>> 〈3421〉伊香保の嶺に雷が鳴らないでくれ。私には差し支えないが、あの子のために。 〈3422〉伊香保の風は吹く日も吹かぬ日もあるというが、私の恋心はやむときがない。 〈3423〉伊香保のあの嶺に降る雪ではないが、とても行き過ぎ難い、あの子の家のあたりは。 鑑賞 >>> 上野(かみつけの)の国の歌。3421の「伊香保嶺」は、群馬県の榛名山。「な鳴りそね」の「な~そね」は禁止の願望。「故はなけども」は、支障はないが。群馬県の山間部は雷の名所として知られており、国

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    japan-eat 2024/08/19
  • 岡本天皇の御製歌・・・巻第4-485~486 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 485 神代(かみよ)より 生(あ)れ継(つ)ぎ来(く)れば 人さはに 国には満(み)ちて あぢ群(むら)の 騒(さわ)きは行けど 我(あ)が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜(よる)は 夜(よ)の明くる極(きは)み 思ひつつ 寐(い)も寝(ね)かてにと 明かしつらくも 長きこの夜を 486 山の端(は)にあぢ群(むら)騒(さわ)き行くなれど我(あ)れはさぶしゑ君にしあらねば 487 近江路(あふみぢ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)日(け)のころごろは恋ひつつもあらむ 要旨 >>> 〈485〉神代の昔から次々とこの世に生まれ継いできて、国には人が多く満ちあふれている。まるであじ鴨の群れのように騒がしく行き来しているけれど、どの人も私がお慕いする我が君ではないので、昼は昼で日が暮れるまで、夜は夜で明け方まで、あなたを思い続けて寝られないまま、とうとう

    岡本天皇の御製歌・・・巻第4-485~486 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/16
  • 東歌(41)・・・巻第14-3365 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 鎌倉の見越(みごし)の崎の岩(いは)崩(く)えの君が悔(く)ゆべき心は持たじ 要旨 >>> 鎌倉の水越の崎は岩が崩れているけれど、あなたが悔いて仲を崩してしまうような心は、決して持ちません。 要旨 >>> 相模の国(神奈川県)の歌。「見越の崎」は、諸説あるものの所在未詳。「岩崩え」は、岩石が露出して崩れているように見える所。上3句が「悔ゆ」を導く序詞で、「岩崩え」の「くえ」が類音の「くゆ」を導き出しています。恋の先行きに不安を持つ女の歌ですが、巻第3-437に「妹もわれも清(きよみ)の河の河岸の妹が悔ゆべき心は持たじ」という、下句がほとんど同じ歌が別にあります。 鎌倉が出てくる歌は、この歌を含め、「東歌」中に3首あります。鎌倉というと、すぐに源氏を思い出し、鶴岡八幡宮や建長寺、円覚寺など中世に栄えた寺社を中心に心に浮かびますが、縄文~弥生時代にかけての遺跡も出土しており、早く

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    japan-eat 2024/08/15
  • 草枕旅の宿に誰が夫か・・・巻第3-426 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 草枕(くさまくら)旅の宿(やどり)に誰(た)が夫(つま)か国忘れたる家(いへ)待たなくに 要旨 >>> この旅の宿りに、どこの誰の夫だろうか、帰るべき国も忘れて倒れている。家のは帰りを待っているだろうに。 鑑賞 >>> 藤原京の皇居に近い香具山(かぐやま)に行き倒れている人を見て、柿人麻呂が作った歌。「草枕」は「旅」の枕詞。「旅の宿り」は、死んで横たわっているのを、寝ている状態と見て美しく言い換えたもの。「国忘れたる」は、死んで故郷へ帰ろうとしない意で、これも死を美しく言い換えた表現。「家待たなくに」は、家の人すなわちが待っているだろうに。 行路死人歌 旅の途中で死人を見つけて詠んだ「行路死人歌」とされる歌が、『万葉集』には21首あります。それらから、この時代、旅の途中で屍を目にする状況が頻繁にあり、さらに道中で屍を見つけたら、鎮魂のために歌を歌う習慣があったことが窺え

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    japan-eat 2024/08/14
  • ぬばたまの夜霧は立ちぬ・・・巻第9-1706 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> ぬばたまの夜霧(よぎり)は立ちぬ衣手(ころもで)を高屋(たかや)の上にたなびくまでに 要旨 >>> 夜霧がたちこめている。屋敷の高殿の上まですっぽり覆いつくしてたなびくほどに。 鑑賞 >>> 『柿人麻呂歌集』に載っている舎人皇子(とねりのみこ)の歌。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「衣手を」は「高屋」の枕詞。「高屋」は、邸内の高楼。一方、「高屋」は、現在の桜井市高家の地名であり、飛鳥から東にある高家の方を見て詠まれた歌ではないかとする見方もあります。 舎人皇子は天武天皇の第三皇子で、後に『日書紀』編纂に携わり、中心的な役割を果たしたとされます。「舎人」の名は、乳母が舎人氏であったところから称せられたのではないかといわれます。『万葉集』には3首の歌を残しています。735年没。 天武天皇の子女 皇子 高市皇子/草壁皇子/大津皇子/忍壁皇子/穂積皇子/舎人皇子/長皇子/弓削皇子/

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    japan-eat 2024/08/13
  • 鴨鳥の遊ぶこの池に・・・巻第4-711~713 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 711 鴨鳥(かもとり)の遊ぶこの池に木(こ)の葉落ちて浮きたる心(こころ) 我(あ)が思はなくに 712 味酒(うまさけ)を三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉(すぎ)手触れし罪か君に逢ひかたき 713 垣穂(かきほ)なす人言(ひとごと)聞きて我(わ)が背子(せこ)が心たゆたひ逢はぬこのころ 要旨 >>> 〈711〉鴨が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮かぶような、そんな浮わついた心で私はあなたを思っているのではありません。 〈712〉三輪の神官があがめる杉、その神木に手を触れた祟りなのでしょうか、なかなかあの方に逢えないのは。 〈713〉垣根のように二人の仲を隔てる噂のせいで、あなたの心がためらっているのか、このごろ逢ってくださらない。 鑑賞 >>> 丹波大女娘子(たにはのおほめをとめ:伝未詳)の歌。711の上3句は「浮きたる」を導く序詞。712の「味酒を」の「味酒」は「

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    japan-eat 2024/08/12
  • うつせみは数なき身なり・・・巻第20-4468~4469 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4468 うつせみは数なき身なり山川(やまかは)のさやけき見つつ道を尋(たづ)ねな 4469 渡る日の影に競(きほ)ひて尋ねてな清(きよ)きその道またもあはむため 要旨 >>> 〈4468〉生きてこの世にあるのは取るに足らない身。清らかな山や川を眺めながら悟りの道を尋ねてみたいものだ。 〈4469〉空を渡る日の光が早く過ぎ行くのに負けないよう、悟りの道を尋ね求めたいものだ。再びあの佳き世に出逢うために。 鑑賞 >>> 天平勝宝8年(756年)6月、大伴家持の「病に臥して無常を悲しみ、修道を欲する」歌。人間というものはそう長生きをするものではないのだから、俗世から離れ、自然の風光に接しながら、仏道を修めたいと言っています。4468の「うつせみ」は、この世の人。「数なき」は、取るに足らない。「道」は仏道。4469の「渡る日のかげ」の「かげ」は、光。「またもあはむため」は、聖武天皇

    うつせみは数なき身なり・・・巻第20-4468~4469 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/11
  • あさりする海人娘子らが・・・巻第7-1186 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> あさりする海人娘子(あまをとめ)らが袖(そで)通(とほ)り濡(ぬ)れにし衣(ころも)干(ほ)せど乾(かわ)かず 要旨 >>> 藻を刈っている海人の娘らの、袖を通してぐしょ濡れになった衣は、干してもなかなか乾かない。 鑑賞 >>> 「覊旅(旅情を詠む)」歌。「あさり」は、ここでは藻や貝をとること。海辺の漁師は海人(あま)とよばれ、元来、一族で集団的な力を持っていて、大和朝廷がわの人間からは、かなり特異な目で見られていました。ここでは、海辺を旅する京の人が、衣を濡らしている海人の娘らの光景を珍しく思って歌っています。 枕詞あれこれ 神風(かむかぜ)の 「伊勢」に掛かる枕詞。日神話においては、伊勢は古来暴風が多く、天照大神の鎮座する地であるところからその風を神風と称して神風の吹く地の意からとする説や、「神風の息吹」のイと同音であるからとする説などがある。 草枕 「旅」に掛かる枕詞

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    japan-eat 2024/08/10
  • 夕さらば潮満ち来なむ・・・巻第2-119~122 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 119 吉野川行く瀬の早(はや)みしましくも淀(よど)むことなくありこせぬかも 120 吾妹子(わぎもこ)に恋ひつつあらずは秋萩(あきはぎ)の咲きて散りぬる花にあらましを 121 夕さらば潮(しほ)満ち来(き)なむ住吉の浅香(あさか)の浦に玉藻(たまも)刈りてな 122 大船(おほふね)の泊(は)つる泊(とま)りのたゆたひに物思ひ痩(や)せぬ人の児(こ)ゆゑに 要旨 >>> 〈119〉吉野川の早瀬のように、私たちの仲が、ほんのしばらくでも淀んでくれたらいいのに。 〈120〉愛しい女に恋い苦しんでばかりいないで、秋萩がぱっと咲いて散るような恋がしたいものだ。 〈121〉夕方になれば潮が満ちるだろう。住吉の浅香の浦で、今のうちに藻を刈ってしまいたい。 〈122〉大きな船が停泊する港の水のように、心が揺れ動いて痩せてしまった、あなたを思って。そのあなたは、人のものなのに。 鑑賞 >

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    japan-eat 2024/08/09
  • 【為ご参考】和歌の前に平等な日本人 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    渡部昇一氏の著書から引用 古代の日人たちは、(中略)詩、すなわち和歌の前において平等だと感じていたように思われる。われわれの先祖が歌というものに抱いていた感情はまことに独特なものであって、よその国においてはあまり例がないのではないかと思われる。 たとえば上古の日の社会組織は、明確な氏族制度であった。天皇と皇子の子孫は「皇別」、建国の神話と関係ある者は「神別」、帰化人の子孫は「蕃別」と区別されたほかに、職能によって氏族構成員以外の者も区別されており、武器を作る者は弓削部、矢作部とか、織物を作るのは服部とか錦織部というふうであった。これは一種のカースト制と言うべきであろう。このカースト制の実体はよくわからないし、現在のインドのように厳しかったかどうかもわからない。しかしカーストはカーストである。 ところが、このカーストを超越する点があった。それが和歌なのである。 『 万葉集』を考えてみよう

    【為ご参考】和歌の前に平等な日本人 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/08
  • 天飛ぶや鳥にもがもや・・・巻第5-876~879 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 876 天(あま)飛ぶや鳥にもがもや都まで送りまをして飛び帰るもの 877 人もねのうらぶれ居(を)るに龍田山(たつたやま)御馬(みま)近づかば忘らしなむか 878 言ひつつも後(のち)こそ知らめとのしくも寂(さぶ)しけめやも君いまさずして 879 万代(よろづよ)にいましたまひて天(あめ)の下(した)奏(まを)したまはね朝廷(みかど)去らずて 要旨 >>> 〈876〉空飛ぶ鳥になれたなら、都までお送り申し上げて、飛んで帰ってこれますものを。 〈877〉私たち一同ががっかりしていますのに、龍田山にお馬がさしかかる頃には、私たちのことをお忘れになってしまわれるのでしょうか。 〈878〉お別れの寂しさを今は口先であれこれ申していますが、後になって当に思い知らされるのでしょう、貴方様がいらっしゃらなくなったら。 〈879〉万年もご健勝でいらして、天下の政(まつりごと)をご立派に司

    天飛ぶや鳥にもがもや・・・巻第5-876~879 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/08/06
  • 我妹子と見つつ偲はむ・・・巻第7-1247~1250 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1247 大汝(おほなむち)少御神(すくなみかみ)の作らしし妹背(いもせ)の山を見らくしよしも 1248 我妹子(わぎもこ)と見つつ偲(しの)はむ沖つ藻(も)の花咲きたらば我(わ)れに告げこそ 1249 君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘(つ)むと我(わ)が染めし袖(そで)濡(ぬ)れにけるかも 1250 妹(いも)がため菅(すが)の実(み)摘(つ)みに行きし我(わ)れ山道(やまぢ)に惑(まと)ひこの日暮らしつ 要旨 >>> 〈1247〉大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)がお作りになった妹と背の山、この山は見るからに素晴らしい。 〈1248〉とみなして偲ぼうと思うので、沖の藻の花が咲いたら、どうか私に知らせてほしい。 〈1249〉あなたに差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘み採ろうとして、私が染めて作った着物の袖が濡れてしまいました。

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    japan-eat 2024/08/05
  • 音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が・・・巻第5-883 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 音(おと)に聞き目にはいまだ見ず佐用姫(さよひめ)が領布(ひれ)振りきとふ君(きみ)松浦山(まつらやま) 要旨 >>> 噂には聞いて目にはまだ見たことがない、佐用姫が領布を振ったという、君待つと言う名の松浦山は。 鑑賞 >>> 三島王(みしまのおおきみ)が、後に大伴旅人の松浦佐用姫の歌に追和した歌。三島王は、天武天皇の孫で、舎人皇子(とねりのみこ)の子。この歌は、帰京した旅人から披露された歌(871~875)に和したもののようです。「君松浦山」は、君を待つ意を同音の「松」に続けた序詞の形になっています。 ランキング参加中知識 ランキング参加中歴史

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    japan-eat 2024/08/04
  • つのさはふ石見の海の・・・巻第2-135~137 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 135 つのさはふ 石見(いはみ)の海の 言さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻(たまも)は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜(よ)は 幾(いく)だもあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず ごもる 屋上(やかみ)の [一に云ふ 室上山] 山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫(ますらを)と 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖(そで)は 通りて濡れぬ 136 青駒(あをこま)が足掻(あが)きを速み雲居(くもゐ)にぞ妹(いも)があたりを過ぎて来にける 137 秋山に落つる

    つのさはふ石見の海の・・・巻第2-135~137 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    japan-eat 2024/07/31