タグ

ブックマーク / note.com/tanahashi (3)

  • 見ることの創造性|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    自分で何か視覚的なものをデザインしたり、ディレクションしたりする際に、自分自身に見る目がなければ、当然ながら、つくるもののクオリティーは上がらない。 利休の観察力はあまたの茶人の歴史でも群を抜いている。岡倉天心や幸田露伴ならいざしれず、とても利休にはかなう者はいない。あの造形力は観察の賜物である。器物を見る目はむろんのこと、きっと人の器量を見る目も鋭すぎるほどだった。と、松岡正剛さんは『日数寄』で書いているが、まさに千利休が茶の達人だったのも器をはじめとする茶道具の目利きができただけでなく、茶会においてどうたち振る舞うとよいかだったり、そもそも茶会には欠かせない人というものを見る目があったからなんだろう。 数多くの器の型の切抜きをつくり、見たものを自分の中で整理することを怠らなかったのだろう。見たものの意味がディテールや要素間の関係性なども含めて理解できていなければ、それを自分の創作にな

    見ることの創造性|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    japanitnt
    japanitnt 2018/02/12
  • デザインと言語化|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    何かをちゃんとデザインしようとすれば、様々なことを言語化することを想像以上にはるかに多く強く求められる。 いま誰を対象として考えているのか、問題をどのように捉えているのか、何を問題の原因と捉え、どのようにそれを解決しようと考えているのか。それはいったい、どのような価値がある何をデザインしようとしているのか。 これらを言語化するのは誰か説明するためというより、自分の想像力をより明瞭にするためだ。複数人でデザインに関わっているなら、チームとしてのイメージをクリアにするためである。 もちろん、デザインには言語化するよりもそれ以外の方法を取った方がいい部分はたくさんある。ただ、そうしたものを除いても、デザインの過程においては言語によって明らかにすべきことは想像をはるかに超えてたくさんある。 わかるということは、次に何のアクションをすればよいかがわかること例えば、自分が何のためにデザインしようとして

    デザインと言語化|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    japanitnt
    japanitnt 2018/01/31
  • 空間感覚とUX|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    『空間の文化史』でスティーヴン・カーンが使っている「積極的消極空間」という概念が面白い。 美術評論家は、絵の主要な題材を積極空間、その背景を消極空間と呼ぶ。「積極的消極空間」という意味は、背景自体がひとつの積極的要素であり、どの部分と比べても同じ重要性をもっているということである。こんな意味でカーンは、背景としての空間の価値をあらためてフォーカスしているのだけれど、この感覚は所謂UXというものを考える上でも大事な感覚だと思う。 空間の些細な違いとそれがUXに与える影響に気づけない人は少なくない。人びとの生活のなかでほとんど意識されない--つまり、背景として消極的にしか存在しない--空間が、実際にはどれほどそこにいる人びとの思考や行動に影響を与えているか。そのことに鈍感な人は、おそらく人びとの体験というものがもつ価値をうまく理解できないのではないかと思う。そんな意味で空間感覚というのは、UX

    空間感覚とUX|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    japanitnt
    japanitnt 2018/01/29
  • 1