二ツ目に昇進する時に、師匠の十代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)が付けてくれた名前、六代目「五街道雲助」。旅人に悪さをする駕籠(かご)かきを指したこの“悪名”のまま歩んできました。 いまは毎月、「らくご街道雲助五十三次」の演目を高座に掛け、やっと「箱根」の先まで来たところ。「京都で上がりですが、元気なら四国の金毘羅(こんぴら)さんまで行こうかな。一人の演者の噺(はなし)をじっくり聴きたいという方がふえていますから」 芸歴46年。落語界でも小遊三、さん喬(きょう)ら最も層が厚い団塊世代、充実した“アラ還噺家”の一人です。 古典落語「火事息子」「干物箱」など、道楽息子を叱る父親の風格がぐんと増して、色気も出てきたといわれています。 「はい。オヤジが息子にいう『あの、バカ野郎が』のせりふを得心して言えるようになったのは60歳(還暦)すぎてからでしょうか。実感でしょうね」 父親、息子、番頭、
![私も出演します 第41回赤旗まつり/落語家 五街道雲助さん 1日 青空寄席/“アラ還噺家”の色気](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8510216a130e7d5e9d1c2a4860958f4849328594/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fwww.jcp.or.jp%2Fakahata%2Fweb_img%2Fakahata-kakusan.jpg)