「出羽守」とは、「〜では」という表現をよく使う人を耶愉する言葉らしい。 出羽守 「アメリカでは」「日本では」の類。類似なものには「農耕民族は」「狩猟民族は」とかってのもある。 まぁ自分のポジションを知りたいという欲求やら、隣の芝の色やら気になるのは人の常だし、問題点を分析したいという欲求は理解せんでもないけど、 「〜では」という分析より、「俺はどうする」の方がはるかに大事 なんだよ。 原因や背景の分析は、物事を成功に導くためには大切なものだ。だからこそ分析に意味がある。 でもさ。それは「何かをする」ということが前提にあって意味があることで、分析ばかりしていても単なる評論家になるだけだ。もちろん評論家になって身を立てたいということなら、それはそれで結構なんだけど、そんなに評論家ばかり増えてもらってもね。 というか、何らかの「実行」を背景にしない分析は、結局「何もしないのが最良」という結論を導