ドットインストール代表のライフハックブログ
2006年01月14日10:40 カテゴリPsychoengineering いじめの非対称性 「社会あるところにイジメあり」への反響のあり方には考えさせられる。これだけ多くの人にブックマークされながら、これほどTBやcommentが少ないというところに、いじめ問題の特徴が透けて見えるようだ。 ES[エス] ブラジリアン・ガールと不器用な俺の物語 | 今、そこにあるいじめこの議論は今現にイジメで苦しんでいる人に対しては何の具体的な解決策も提示していない。それどころか、無関心な、間接的にイジメに荷担している層を「イジメは人間の本性」だとばかりに開き直らせてしまいかねないと思うのだ。 確かに「寛容性」と「流動性」は具体策を示すキーワードとしては抽象的かも知れない。しかし、そこから具体策を導くのはそれほど難しいことではない。というよりさまざまな具体策を私が私自身の経験も踏まえて抽象化したというの
私が書くとギャグにしかならないだろうけど。 重要なことは、読者の、メンタル・モデルを想定すること。 クラス定義しておく感じ。 プロパティに既知情報と想定されるものを定義する。 メソッドに読解のシェマを定義する。 つまり、その読者はなにを知っていて、どういうストラテジーで文章を読むか。 たとえば、日刊ヒュンデだったら、読者は、ぼやきのオサーン。既知情報はテレビ報道レベル。スキーマは、権力者は悪、薄ら左翼的正義。 ほいで、ディスコース・ターゲットを設定する。たとえば、米国産牛肉を食べるとアルツハイマーになるとか。 さらにデマを作りたいなら、 ・真実を適当にまぜる ・情報の出所を書かない ・未知情報=専門情報は高卒だからわかんなーいとかにしてマクロ化し読者に知的負担をかけない
●論階層のない珍しい国、日本 岡田 アマチュアのころ大阪の方で8ミリアニメを作っていたことがありまして。その当時、プロのアニメの作り方って何か違うじゃないかと感じていたんですよ。商業主義に流れるのは仕方のないことかもしれないけど、見ている人も嬉しくないし、スポンサーも嬉しくないし、作っている方もやりがいがないような作品がすごく多いように見えたんですね。で、俺たちはもっと違うものできるんだって思って、それで東京へ来てプロになった。 そんなこともあってついついその目で何ごとも見てしまうんですけども、今の日本って誰がどうやって動かしているんだろうと思った時にですね、ここでもやっぱりプロが信用できないという気がするんですね。まず、誰が動かしているのかはっきりわからないし、どんなプロが動かしているのか。で、どうもその流れとして、エスタブリッシュメントというものがあるような気がするんだけども、その人
●ミ・ヤ・ダ・イをコントロールする 岡田 『朝生』って、終わったあとに飲み会があるじゃないですか、全員参加の。出演したときに、こういうのもおもしろいかなと思ってつき合ったんですけれど、みんな宮台さんの話をするんですよ。「宮台は今回来なかったねえ」「逃げたんだよ」とか。なぜこの人たちはこんなに宮台さんのことを気にするのかと思いまして、聞き耳を立てていたんですよ。 宮台 僕もそれは興味深いですねえ。 岡田 彼らの話を聞いていますと、今、言論とか社会時評をやっている人、またこれからそういうものを目指す人にとっては、宮台さんはひとつのランドマークなんですね。「この件について彼はどう考えているんだろう」とか「彼がこう言ったら俺はこう言い返すのに」とか。 宮台 わかります。人々の妄想の中で、仮想問答の相方に使われているんだろうなあと( 笑)。それは常々思います。 岡田 それを聞いていると「言論の
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