1月28日、ツイッターが特定の国で投稿を非公開にするシステムを導入したと発表したのを受け、検閲を可能にするとして反発の声が上がっている。しかし実際は、当該国が表現の自由を制限していることを、その国のオンラインユーザーに知らせるシグナルにもなる。写真はツイッターのコストロCEO。昨年2月撮影(2012年 ロイター) 短文投稿サイトの米ツイッターは26日、当局から投稿の削除要請があった場合、その国や地域でのみ非公開にするシステムの導入を発表。今回の発表を受け、インターネット上では、検閲を可能にするとして反発の声が上がっており、コメンテーターや活動家をはじめネット利用者は、「とても悪い知らせだ」などと怒りのコメントを寄せている。 その例として、米紙ニューヨーク・タイムズによると、ビアンカ・ジャガーさんは、ツイッターのボイコットを呼び掛ける方法をツイッター上で質問。その後、反対派は28日を「ツイッ
クラシック音楽は美しく夢があって、音楽をやっている人に悪い人はいないと、誰もが思いたい。 しかし日本の音大での吐き気を催すような低レベルなパワハラに愛想を尽かし、自ら退学して留学の道を選んだ私はその後、日本の音楽界から”異端者”として排除されることになった。 多額の税金を自らの売名と、コネクションや権力の拡大に注ぎ込み、既得権にしがみついて離さない老害音楽家たちの陰に、何千万円もの高額授業料を単にブランド料として搾り取られながら、有名音大や有名教師に学んだことを感謝し、アルバイトで糊口をしのいでいる優秀な若手音楽家が無数にいる。自らもいつか音楽家として成功することを夢見て、有名無実な著名音楽家に何の疑いもなく従って行く。まるで屠殺場に送られるのを待つ、羊の群れのように・・・ 2晩目のモーツアルトホールでの伝統的な邦楽のみの演奏会はそこそこに客も入り、ポピュラーな作品だけであったことから反応
大衆活動で陽動し革命を装ったエジプト軍部クーデターから1年、当初の軍部の思惑どおりには民主化の偽装が進まず、ムバラク元大統領の位置に座り込んだ軍最高評議会の実態(参照)も露呈し、反政府デモが続いている。NHK「エジプト 反政府デモ開始1年で」(参照)より。 エジプトでは、去年1月、若者のグループによるインターネット上での呼びかけによって民主化を求める反政府デモが始まり、30年近くにわたったムバラク政権が、僅か18日間で退陣に追い込まれました。民主化運動が始まって1年となる25日、若者たちは再び国を暫定的に統治している軍に抗議するよう呼びかけ、全国の主要な都市で大規模なデモが始まりました。 このうち、首都カイロのタハリール広場では、午前中から数万人が集まり、軍の統治はムバラク政権時代と何も変わっていないとして、即座に権限を手放すよう求めました。参加者からは、「軍は民主化を求める国民の声を聞か
先日ツイッターで「青春ってどうして青なんだろう?」というつぶやきを見かけた。現代で「青春」なんていう古語を使う人はないんじゃないか。というか、ポスト団塊世代の僕が若い頃ですら「青春」ってなんか自分より年が上の、団塊世代が使う、ねちょっとしたイヤな感じの言葉だった。 でもま、なぜ「青」なのかというと、人生を四季に例えると、若い時代は「春」で、春は陰陽五行の考え方では「青」になるから、それをくっつけて「青春」。じゃ「夏」はというと「赤」だから赤夏、じゃなくて朱夏。朱に交わるわけよ。同様にお次が「白秋」、そして「玄冬」となる。 かくして青春・朱夏・白秋・玄冬だが、高松塚古墳の壁画じゃないけど、風水の四神、青龍・朱雀・玄武・白虎にも対応している。朱雀といえば平安京など都の南門・朱雀門が連想されるが、朱雀は南を司る。白虎といえば白虎隊とか連想するがこれは西側の担当。 ぐぐれば出て来そうな話をだらっと
宗教の誕生。 そう言うと、祭祀遺跡の考古学的研究とか、埋葬の始まりといったことを連想するでしょう。それはそれで興味深いのですが、ここで言う宗教の誕生は別の話です。 では、宗教的であることの反対とは何でしょうか。今日的には多分、「世俗的(secular、علماني)」という言葉が来るでしょう。しかしこの世俗概念は近代の発明であり、実際、19世紀に「無神論」とか「宗教的ではない」というネガティヴな言葉の代理として登場してきたことに始まるようです1。 わたしたちを取り巻く環境においては、宗教はしばしば「基本の生活」にプラスアルファで付け加えられる思想信条のように捉えられています。これがそもそもの誤りの始まりだということを、何度も指摘してきました2。つまり、「世俗」がデフォルトで、お望みならオプションでシューキョーもどうぞ、という具合です。 しかし、こうした形で捉えられたシューキョーは、特殊近代
毎年2月に開かれる「菜の花忌」。作家の司馬遼太郎さんをしのび、当日は「司馬遼太郎賞」の贈賞式などが行われます。前回受賞した静岡大教授の楊(よう)海(かい)英(えい)さん(47)は、中国・内モンゴル自治区出身の文化人類学者。中国では現在もタブーとされる文化大革命(1966~76年)で、その人生が大きく変わり…。(磨井慎吾)文革の辛い記憶 3つの名前を持っている。モンゴル名のオーノス・チョクト、中国名の楊海英、帰化の際に付けた日本名の大野旭(あきら)だ。言論活動では「楊」を使うが、好きなわけではないと話す。「帰化の前から楊の名前で書いてきたから。中国の少数民族は中国名を持たないと不便が多く、その意味では植民地的な名前。でも使っていると常に内モンゴルという自らの出身を意識する」 帰化前の国籍は中国だが、自己認識はモンゴル人。漢民族が支配する中国を祖国とは思わないが、外国では中国人として扱われる。
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