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2019年3月21日のブックマーク (9件)

  • ソ連のTV放送(前編)|露傍の石

    ソ連のTVは、1939年にモスクワとレニングラードでの小規模な放送から始まった。第二次世界大戦に突入して暫く停滞するものの、終戦後は徐々に拡大して、各地に放送のネットワークができる。1967年にはモスクワから全土に放送可能になった。TVは重要な啓蒙・プロパガンダ装置でもあり、ソ連邦閣僚会議付属テレビ・ラジオ国家委員会の厳格な管理下に置かれていた。 とはいえ、TVがイデオロギー装置として格的に認知されるには、少し時間がかかる。当初は週に数時間~数日の放映で、映画やスポーツ中継が中心。時代はまだまだラジオ優位だったのだ。 1960年1月、ソビエト共産党中央委員会は決議「ソビエトにおけるテレビの今後の発展について」を採択。この中で、TVは「マルクス・レーニンのイデオロギーと道徳、およびブルジョア思想に対する敵意に基づく共産主義教育を国民民衆に施す重要な手法」と位置付けられた。 この文言はいかに

    ソ連のTV放送(前編)|露傍の石
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  • サイエントロジーと他の宗教との関係 - 澤田二美雄

    専門家の見解について 1996年のこの研究の中で、ハジ・ムハンマド・アル・カーイム・澤田 沙葉氏は、サイエントロジーの神学、教典、儀式を詳細に分析しています。まずサイエントロジーそのものに関する考察、続いて氏が自ら深く関わり、熟知している日の伝統的な宗教・宗派との比較による考察を述べています。 彼はこう述べています。「結論として言えることは、サイエントロジーが宗教以外の何ものでもない、ということである。 サイエントロジーは、西洋のどの宗教よりも日の宗教と多くの類似性を持っており、これがために西洋では、他の主流宗教と類似しないという理由で誤解されているようである。 にもかかわらず、それは国際的宗教のひとつであり、2,000万人の信者がいる日の宗教に非常に似通っている。」 経歴 ハジ・ムハンマド・アル・カーイム・澤田 沙葉氏は、イスラムと神道の両方の背景を持ち、半世紀にわたって東と西の宗

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2019/03/21
    " 1996年のこの研究の中で、ハジ・ムハンマド・アル・カーイム・澤田 沙葉氏は、サイエントロジーの神学、教典、儀式を詳細に分析しています。"
  • Amazon.co.jp: 日本発!イスラ-ムが世界を救う: 澤田沙葉: 本

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2019/03/21
    大正13年(1924)岐阜市に生まれる。昭和25年東大法学部政治学科卒業。昭和35年、財団法人ザビエル育英会設立のために献身、事務局長・理事に就任。CDWU(世界キリスト教民主同盟)の日本代表として毎年ローマにおける世界会議
  • イランで深夜徘徊。イラン人はやっぱり面白い

    正直、見知らぬ土地で夜歩きすることは好きじゃない。 治安の面もあるし、そもそも朝型人間でもある。そんな理由から今まで夜歩きをすることはほとんどなかった。 しかし、「イランの京都」とも呼ばれる、イスファハン滞在中に「夜に盛り上がるスポットがある」と聞けば、自らの習慣を捻じ曲げてでもいってみたくなるのが人間の性というものである。 時刻はすでに夜の10時を過ぎている。2時間ほど前にドバイからイスファハンに到着したばかりだった。街に関しては全く見覚えがない。 滞在するホテルから目的の場所までは、徒歩で行ける場所だったので、どうにかなれと思いつつ、日がどっぷりと暮れた暗闇の中に飛び込んだ。 代わりに目に飛び込んできたのは、自由気ままなイラン人たちの姿だった。 深夜だというのに家族そろって、車内でファストフードを黙々とべる家族。ベンチに座って、ファストフードをべながら静かに語らうおっさんたちなど。

    イランで深夜徘徊。イラン人はやっぱり面白い
  • ネットに存在しない伝説の航空会社!?ゲシュム島行きの幻チケットをゲット

    オマーンに行くため、ドバイ空港のターミナル2でチェックインをしていた時のことである。 ふと、横を見やると「ゲシュム航空:バンダーレ・アッバス行き」と表示されているカウンターが目に入った。 あの伝説の!? イランのアラブ、ゲシュム島 もはや興奮を抑えきれずに、これから行くオマーンなどどうでもよくなり、気づけばカウンター近くの職員に話しかけていた。 イラン近くのペルシャ(アラビア)湾には、いくつかの島が存在する。ホルムズ海峡あたりといった方が身近だろうか。その中でも、1年前ほどからある島に目をつけていた。それがゲシュム島である。 ちなみにバンダーレ・アッバスはイラン南部にある港町である。 英語の発音からすればケシェム島もしくはケシム島と表記すべきなのだが、なぜか日語では「ゲシュム島」と言われている。ここでは、あえてゲシュム島と表記しておく。 イランはペルシャ語を話すペルシャ人が大半を占める国

    ネットに存在しない伝説の航空会社!?ゲシュム島行きの幻チケットをゲット
  • イラン全国各地でのイスラム革命40周年記念イベントの様子 | ソフィア株式会社 イラン・中近東・中央アジアのオーダーメイド旅行会社

  • 2018年度第38回イラン研究会のお知らせ(AA研3/30-31) - 近世イスラーム国家のブログ

  • 破杓庵問答 - 恐山あれこれ日記

    「問う。如何なるか是れ幸福」 「今日と同じ明日がくることを信じていて、しかも信じていることを忘れている状態」 「如何なるか是れ真理」 「アクセサリーみたいなもんだ。無くても構わんが、無いと寂しい」 「如何なるか是れ死」 「後ろの正面と同じ。見えたらただの正面で、後ろではない。誰も見たことがないのに、その話はできる」 「如何なるか是れ生」 「空気だな。感じることはできるが、つかめない」 「如何なるか是れ希望」 「蛍光灯。明るい時にはいらない。いちおう予備もあったほうがいいけど」 「如何なるか是れ絶望」 「落とし穴。落ちても底無しということはない。ただ、底抜けしないうちに出る算段がいる」

    破杓庵問答 - 恐山あれこれ日記