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ブックマーク / ukdata.blog38.fc2.com (5)

  • 成功報酬型の職業の衰退 | ブログ運営のためのブログ運営

    人手不足だと言われるが、消費者が自ら選ぶ時代に対応できてないのだろうと思われる。消費者の求めに従って機械的に対応するのが「単純労働者」として括られて低賃金だからこそ、人手不足ということになる。消費者が自らの判断で選ぶとなると店員は機械的で低賃金だが、押し売りは商品知識が必要で賃金が高いという妙な話である。この無駄な商品知識を取り除かなければならない。変な話ではあるが、商品知識のない店員のほうが(押し売りしてこないから)消費者には望ましいのである。 では、望まれてない職業がなぜあるのかというと、まず旧態然とした法律に守られているからだし、利益構造が成功報酬型だからである。あちこちで疎まれて三振だらけでも、時たまホームランを打てばいいわけである。消費者からすると被弾と言ったほうがいいのかもしれないが、ともかく成功報酬型の職業というのは、昔なら必要悪とも言えたが、ネット時代ではかなり迷惑な存在で

  • 「そんなことは言ってない」 | ブログ運営のためのブログ運営

    この世の中には「そんなことは言ってない」という便利な言い回しがあるようである。確かに言ってはいないだろう。だから「言ってない」という言説そのものは正しい。どちらかというと相手の魂胆をズバリと指摘したときにこの言い回しが出てくる。こちらが極端に誇張した場合でも「そんなことは言ってない」という返しはありうるから擦り替えとして便利なのだろう。あるいは、ともかく人間の魂胆については「言ってない」ところが肝心であり、そこが世界の質である。言ってないのは反論にはならないし、そもそも反論の必要があるわけでもない。人間はいろいろと不満を抱えており、よからぬことを企みながら生きている。ここにもいろいろな個性があり、たとえば天皇陛下のような正直者のタイプがいれば、秋篠宮や小室圭のような嘘つきタイプもいるのであり、後者の方がソーシャルスキルは高い。われわれは小室圭のたくらみについて、あれこれ憶測で語るわけだが

  • 有村悠さんは歯の神経が全滅 | ブログ運営のためのブログ運営

    https://twitter.com/lp_announce/status/1126201366118932480 これはわたしも以前から気になっていたのだが、有村悠さんは自撮りで決して歯を見せない。精神だけでなく口腔も魔窟のごとく蝕まれていることは容易に察せられたが、恫喝されても怖いので指摘は控えていた。学生時代のがどうこう言っているが、東大入学まで健康優良児だったとは思えないし、欠損家庭は歯も欠損しているという法則通りなのであろう。エリート東大生のキラキラした歯列とは対極的なのである。九州の田舎者の歯がボロボロというとシンナー疑惑も持たれるところだが、典型的な教育ママとガリ勉というか、刻苦勉励して東大合格という経歴からして、それは考えづらい。やはり母子家庭は母子家庭であり、父という頭部がもげた状態で、壊死を待つまでの断末魔として蠢いている。東大に入学すれば薔薇色になると思っていたの

  • 宮台真司の娘の責任 | ブログ運営のためのブログ運営

    子どもに責任はないという決まり文句をよく聞くのだが、いつどこでそれが決まったのかよくわからないし、国会で採決したわけでもないのに妙に力を持っている言説である。「子どもに責任はない」という論理に従えば、ユダヤ人に気を遣うこともないし、イスラエルも片付けられるのだが、人間は歴史性を持った存在であり、自分が生まれる前のことに責任を負うという考えもあり得るし、少なくとも差別問題に関しては、世代を超えて引き継ぐことになっているわけである。 宮台真司の過去の行状を現在の法律で裁くなら死ぬまで刑務所で過ごして貰うことになるが、法律は遡及しないので法的には無罪である。だが宮台が学匪であるという誹りは免れまいし、これだけ罪の重い人間はいないのである。女子高生とやってみたいというのがわれわれの音だとしても、彼女たちは使い捨ての存在として生きているのではない。「自分の娘だったら」とか「未来の自分の恋人だったら

  • 宮台真司の家族愛の気持ち悪さ | ブログ運営のためのブログ運営

    自分の家だけが大事であり、他人の家は地獄に堕ちろという中世武家社会のような家族愛が物かニセモノかどうかは知らないが、21世紀の価値観にはそぐわない。 人権思想を語るからには、誰にでも普遍的に人権があると言うしか無いのだし、家族愛も普遍的であるはずだ。 そもそも普遍性を持たない家族愛なら、人類史を通してずっとあったはずであり、人権思想として語るテーマではないだろう。 自分の家族だけが大事というエゴを剥き出しにするのも自由ではあろうが、こういう輩、たとえば宮台真司のように他人の家の娘さんを地獄に堕としてきた人間が、「いいお父さん」であるとしても、この気色の悪い御家族が共感されるわけはあるまい。 端的に言えば、他人とか他人の家族が大事であるはずはないのだが、あまりそれを正直に言うと殺伐としすぎてわれわれの精神衛生上もよくないから、他人の家族の不幸に泣いてみたりするわけだ。 当に悲しいのかと問

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