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  • 室積半島(5)普賢寺・普賢菩薩堂(山口県光市室積8丁目1-1) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    普賢菩薩堂(普賢堂)の仁王門(山門)。仁王門は寛政10年(1798年)に建立されました(1917年に改修)。木造の金剛力士像(仁王様)が両脇に安置されています。金剛力士像は、最初は普賢菩薩堂に安置されていましたが、拝殿が狭くなったので、仁王門を建立し安置しました。【他の写真】 仁王門から普賢菩薩堂への参道を望む。仁王門の楼上には仏教開祖の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ=お釈迦様)を主尊に、左側に光厳童子(こうごんどうじ=修行者・菩薩)、右側に月蓋長者(がっかいちょうじゃ=インドの大富豪)を配して、その両側に十六羅漢(じゅうろくらかん=仏法を護持する16人の羅漢)が安置されています。毎年5月14日、15日に普賢まつりが開催され、この参道や周囲の道路には多数の露店が並びます。今年はコロナの影響で3年ぶりに同まつりが開催されましたが、規模は縮小され、例年約200店もの露店が出ますが、今年は約50店の

    室積半島(5)普賢寺・普賢菩薩堂(山口県光市室積8丁目1-1) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2022/08/02
  • 岩国城(2)山頂駅から岩国城へ~城山山道を歴史散策(山口県岩国市横山3丁目) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    岩国城ロープウエー山頂駅の展望所兼休憩所。山頂駅に着きました。展望所で一休み後、城山山頂の山道を散策します。岩国城の歴史に触れながら、岩国城目指してウォーキングです。【他の写真】 山頂駅展望所から岩国市街を望む。錦川と錦帯橋が見えます。展望所には岩国パノラマ写真地図が設置されていました。正面が瀬戸内海に浮かぶ柱島です。この柱島と右側の周防大島の中間点の海上で帝国海軍の戦艦陸奥(39050トン)が爆発、沈没しました。【陸奥公園】  【戦艦陸奥爆沈】【他の写真】 山頂駅前の交流広場には、からくり時計が建っています。15分ごとに童謡や鵜飼音頭などの音楽が流れ、それに合わせて錦川の鵜飼のからくり人形が動きます。【他の写真】 遊具の向こうに、岩国城への山道の入口があります。<吉川家17代当主で米子藩(鳥取県)14万石藩主であった吉川広家は、1600年(慶長5年)関ケ原合戦の後、岩国領3万石に移封され

    岩国城(2)山頂駅から岩国城へ~城山山道を歴史散策(山口県岩国市横山3丁目) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/10/30
  • 吉川史料館(2)3つの庭を巡る(山口県岩国市横山2丁目) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    吉川史料館(吉川重幹館長<安芸吉川家第32代当主>)ロビーより昌明庭を望む。淡路の白砂利を敷きつめ、黒みかげ石の石舞台(右前方の片隅、白壁の前)を配した、この庭園は、世阿弥の「風姿花伝」をイメージして造られました。昌明庭では岩国藩鉄砲隊保存会の演武、石舞台では茶会などのイベントが行われます。【他の写真】 吉川史料館を出ました。史料館前の長いコの字型の回廊を通って史料館前の中庭に行きます。【他の写真】 回廊から史料館前の中庭を望む。右側に吉川史料館があります。左側の建物は昌明館付属屋の長屋。前方には城山(標高200m)が聳え、山頂には岩国藩(吉川家)の岩国城が見えます。【他の写真】 吉川史料館前の中庭には、吉川家第31代当主・吉川重喜夫人、吉川梅子の句碑がありました。「鵜篝(うかがり)に 照らし出されて 錦帯橋」とあります。吉川梅子は1929年(昭和4年)11月東京生まれ。俳人協会会員、国際

    吉川史料館(2)3つの庭を巡る(山口県岩国市横山2丁目) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/09/27
  • 高森天満宮(2)境内を巡る(山口県岩国市周東町緑町) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    高森天満宮由緒と芭蕉の句碑。一の鳥居近くにあります。由緒は、主神【菅原道真公】、社祠(しゃし・神をまつる殿舎)を建立した蓮華山総持寺住職・活宗和尚、高森天満宮を創立した通化寺住職・戒文禅師について記されています。【他の写真】 芭蕉の句碑。「一声の江に横たふやほととぎす」。元禄六年(1693年)、【松尾芭蕉】が50歳の時に詠んだ句です。「ホトトギスが鋭く鳴いて大河の上を飛び過ぎて行き、その声の余韻が消えずに水の上に横たわっているようだ」と詠まれています。【他の写真】 高森天満宮改築記念碑。高森天満宮は昭和36年7月に改築されました。その後、昭和53年に現在のような赤い近代色に塗り替えられました。【他の写真】 戒文禅師の碑。参道東側にあります。明治初年の頃、通化寺住職だった戒文禅師が総持寺に隠居して寺小屋を開設し、学問の神様を主神とする天神様を復興して高森天満宮を創立しました。【他の写真】 人

    高森天満宮(2)境内を巡る(山口県岩国市周東町緑町) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/09/02
  • やまだ屋もみじファミリーパーク(1)ピクニック広場、芝生広場(広島県廿日市市沖塩屋) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    やまだ屋もみじファミリーパーク(小田島公園)にやって来ました。この公園は元々「小田島公園(おたじまこうえん)」という名称でしたが、ネーミングライツにより2019年4月から「やまだ屋もみじファミリーパーク」に変わりました。ネーミングライツとは、公共施設(スポーツ施設や公園など)の命名権を企業が買うビジネスで、自治体としては施設建設費用や維持費を買取企業が請け負いますので、経費節減になります。一方、企業としては来場者に自社の企業名やブランドを知ってもらうことで大きな宣伝メリットがあります。【他の写真】 ピクニック広場から瀬戸内海の大野瀬戸を望む。やまだ屋もみじファミリーパークは瀬戸内海に面して造られています。大野瀬戸の向こうの大きな島は、宗像三女神(むなかたさんじょしん)が御祭神の厳島神社(世界文化遺産・国宝・日三景)がある宮島(厳島)です。【他の写真】 小高い丘になっているピクニック広場。

    やまだ屋もみじファミリーパーク(1)ピクニック広場、芝生広場(広島県廿日市市沖塩屋) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/07/31
  • 岩国石人形資料館(2)所縁の人々(山口県岩国市横山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    岩国石人形資料館<来館者の色紙・記念品・写真・文化コーナー>。資料館を訪れた作家、俳優、芸能人、歌手、タレント、スポーツ選手などの色紙、記念品、写真などが展示してあります。 上の列には南方一枝と吉耐天の漢詩、柳沢慎吾、池乃めだか、田中健の色紙と写真、その下には、資料館館長・横田馬鹿一さんの絵画が並んでいます。下のガラスケースには宮和知の色紙と写真があります。【他の写真】 藤あや子、妹尾河童、IKKO、JOY、マイケル富岡、地井武男などの色紙、写真などがありました。【他の写真】 宇野千代の写真と短歌、高木春山の「草図説」解説、横田馬鹿一さんの絵画などがありました。【他の写真】 報道、マスコミ等の色紙コーナー。 岩国石人形資料館が取材を受けたテレビ局の番組の色紙も多数ありました。【他の写真】 山田新川の漢詩。【他の写真】 南方一枝の漢詩。【他の写真】 横田馬鹿一さんの短歌。【他の写真】

    岩国石人形資料館(2)所縁の人々(山口県岩国市横山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/07/19
  • 岩国石人形資料館(1)300年以上の石人形文化を伝承(山口県岩国市横山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    岩国石人形資料館。錦帯橋近くの錦帯橋いざない街道沿いにあります。錦川の錦帯橋下付近の川の中で採れる石人形(人の形に似た石)を展示しています。また、石人形の研究資料や、伝説、歴史、漢詩、和歌、俳句などの文化資料も展示。石人形のお土産も販売しています。「馬鹿石の店」の”馬鹿石”は資料館の館長さんの雅号。【他の写真】 館内カウンターで来館者に対応中の館長・横田馬鹿石(雅号)さん。横田館長さんに館内を案内していただきました。ちなみに、横田館長さんは、武者小路実篤の小説の作中人物”馬鹿一”の生き方に共鳴して”馬鹿石”という雅号にされたそうです。【他の写真】 資料館の館内は分野別にきれいに整理され、石人形の研究資料や関連資料が展示してありました。石人形は江戸時代から錦帯橋土産や、お守りとして知られており、現在まで300年以上の文化が伝承されています。 石人形や資料館に関する、新聞、雑誌等の報道資料。錦

    岩国石人形資料館(1)300年以上の石人形文化を伝承(山口県岩国市横山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/07/08
  • 初夏の錦帯橋(3)河畔の群像(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    剣豪 佐々木小次郎の像(吉香花菖蒲園)。後方の城山の山頂には岩国城が見えます。錦川河畔や錦帯橋周辺には銅像や石碑があちらこちらにあります。吉川英治の小説、「宮武蔵」には、「先祖以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名は小次郎と親からもらい……」と書かれています。これが、佐々木小次郎が周防岩国出身である由縁ですが、福岡県や福井県なども出身地とされています。生年が不詳の為、享年も不詳ですが、史実では慶長17年4月13日(1612年5月13日)、山口県下関市の巌流島(関門海峡)で武蔵に敗れて亡くなったと記されています。【他の写真】 巌流ゆかりの柳(錦帯橋近くの錦川河畔)。佐々木小次郎は元々「岩流」と名乗り、後に「巌流」と改名しました。小説「宮武蔵」では、秘剣「つばめ返し」は錦川の河畔で揺れる柳の枝を切り、水辺を素早く飛び交うツバメを切り落とすことで編み出したと伝えられています(他の地域で編み出し

    初夏の錦帯橋(3)河畔の群像(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/06/28
  • 初夏の錦帯橋(2)周辺風景(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    吉香公園入口。向いの山は岩国城のある城山。錦帯橋の西側、横山地区には広大な吉香公園がありますが、今回は錦帯橋の河畔や近くの風景、建物、商店などを巡りました。なお、錦帯橋周辺は、6月18日、国重要文化的景観に選定されることが決まりました。 ソフトクリーム専門店「佐々木屋小次郎商店」(吉香公園入口)。れんこんコロッケや岩国寿司なども販売しています。佐々木小次郎にちなんだお店です。吉川英治の小説「宮武蔵」では、佐々木小次郎は岩国出身となっています。 ソフトクリームとお事の店「むさし」。巌流島で決闘した佐々木小次郎の相手、宮武蔵にちなんだお店。岩国寿司とセットの各種定もあります。「佐々木屋小次郎商店」と仲良く並んでいます……?(並んでいると言っても、距離は少し離れています)。 錦帯橋河畔。石垣が苔むしています。桜の名所です。錦帯橋河畔はとても広く、散歩する人も多く見られました。毎年4月下旬

    初夏の錦帯橋(2)周辺風景(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/06/18
  • 初夏の錦帯橋(1)錦帯橋八景(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    橋の西側(横山地区・吉香公園)から錦帯橋(きんたいきょう)を望む(右が下流)。初夏の錦帯橋に来ました。山口県最大の大河である錦川に架かる錦帯橋は、日三名橋(東京の日橋、長崎の眼鏡橋、岩国の錦帯橋)の一つです。 橋の東側(岩国市街地)から錦帯橋を望む(左が下流)。後方の城山(200m)の山の上には桃山風南蛮造りの岩国城の天守閣が小さく見えます。錦帯橋は1673年(延宝元年)、岩国藩3代目藩主・吉川広嘉(きっかわ・ひろよし)公により創建されました。翌年流出しましたが、すぐに再建されました。以来、1950年(昭和25年)9月のキジア台風により流出するまで276年間、その威容を保ちました。流出後、錦帯橋は1953年に再建されました。その後、2001年(平成13年)~2004年(平成15年)に「平成の架替事業」が行われ現在に至っています。【他の写真】 錦川上流から錦帯橋を望む。屋形船がひっそりと

    初夏の錦帯橋(1)錦帯橋八景(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/06/06
  • 清流通り(2)水車小屋~鹿野総合支所(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    「清流通り」の水車小屋を通り過ぎました。鹿野総合支所まで歩いて行きます。山頭火の「どうしようもない私が歩いている」の句の如く、ぶらぶらと歩いて行きます。この「清流通り」は鹿野の観光スポットとして整備され、平成6年に完成しました。 二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)入口までやって来ました。明治時代の二所山田神社21代目宮司、宮重胤(みやもと・しげたね)は、神道には女性をけがれとみなす思想がなかったことから、いち早く”男尊女尊”を唱え、女性神主の登用と女性の地位向上を主張しました。【他の写真】 二所山田神社前には「女子道」の石碑がありました。明治38年、宮重胤宮司は女性の自立のための全国組織「大日敬神婦人会」を設立。明治39年、その機関誌「女子道」を発刊(昭和17年まで)し、女性の地位向上と女性の権利を擁護する主張を展開、女性参政権も提言しました。また、おみくじを、これらの活動資金とし

    清流通り(2)水車小屋~鹿野総合支所(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/05/24
  • 清流通り(1)漢陽寺~水車小屋(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    「清流通り」から漢陽寺を望む。清流通りにやって来ました。標高380mの高原なので、空気がとても澄んでいます。漢陽寺の裏山にある「潮音洞」(ちょうおんどう・山口県指定文化財)は、年中水不足の鹿野集落のために、江戸時代初期の1651年、代官・岩崎想左衛門重友が中国山脈から流れ出た錦川上流から水路を引き、漢陽寺の裏山にトンネルを掘り、1654年に完成させた導水路です。この潮音洞から鹿野集落に用水路が引かれたのです。その清流が、367年を経た現在も農業用水として鹿野の人々の暮らしを潤しています。 今から「清流通り」を散策します。通りの左側に用水路があります。「潮音洞」から引かれた用水路沿いに、漢陽寺から鹿野総合支所までの約600mが、「清流通り」として整備され、四季折々の自然と文化・史跡の散策道となっています。「潮音洞」と「清流通り」は平成20年に環境省により「平成の名水百選」に認定されています。

    清流通り(1)漢陽寺~水車小屋(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/05/16
  • 漢陽寺(3)高僧と名将と巨匠、古刹の礎の軌跡(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    臨済宗・鹿苑山漢陽寺(ろくおんざん・かんようじ・杉村宗一住職)。法堂から堂を望む。南北朝時代(室町時代)の応安7年(1374年)、周防・長門・石見国(中国地方)の守護大名・大内弘世(おおうちひろよ)がこの地に鹿苑庵(ろくおんあん)を建てたのが漢陽寺の起こりです。弘世公は石見の国の高僧、用堂明機禅師(ようどうみんきぜんじ)を懇請し、漢陽寺の初代住職に迎えました。その後、大内家26代当主・大内盛見(おおうちもりはる・大内弘世の6男)が当地に漢陽寺を開基・建立しました。【他の写真】 堂の須弥壇(しゅみだん)には中央にお釈迦様、左に開基・大内盛見公、右に開山・用堂明機禅師の像が祀ってあります。漢陽寺は明治初期まで、臨済宗用堂派の山として、約200カ所の末寺を有していました。現在は京都東山の南禅寺が山となっています。【他の写真】 【用堂明機禅師(ようどうみんきぜんじ)の像】。用堂明機禅師(1

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    jida43456 2021/05/05
  • 漢陽寺(1)“昭和の雪舟”重森三玲の六つの庭(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    鹿苑山・漢陽寺(ろくおんざん・かんようじ)。参道より山門を望む。臨済宗南禅寺派の寺院である漢陽寺は、室町時代の1374年、後に中国地方を支配する大内氏により祈願所として創建されました。正式名称は、大山南禅寺派別格地鹿苑山漢陽寺。漢陽寺は瀬戸内海沿岸の周南市中心街から約40km内陸の標高約380mの高原にあります。 漢陽寺法堂より堂を望む。漢陽寺先代住職・杉村五由(すぎむら・ごゆう)さんに案内していただき、お話を伺いました。以前から“昭和の雪舟”と呼ばれた重森三玲氏の日庭園に魅せられていた杉村五由さんは、宇部市の宗隣寺で重森氏に面会、熱心に作庭を依頼しました。その結果、重森氏は「日に無いものをやりましょう」と応じました。以後、重森氏は5年の歳月をかけて調査、設計、作庭し、漢陽寺に六つの異なった様式の日庭園、「曹源一滴の庭」「曲水の庭」「地蔵遊化の庭」「蓬莱山池庭」「九山八海の庭」「

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    jida43456 2021/04/15
  • 光市文化センター(2)総合的博物館を目ざして(山口県光市光井9丁目) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    光市文化センター(西側・駐車場より撮影)。光市文化センターは、旧光市制35周年記念事業として、歴史民俗資料館、美術館、科学館を含めた総合的博物館をめざして昭和55年(1980年)11月に開館しました。 光市文化センター・ピロティ<吹き抜け外部空間・玄関>(南側・光市立図書館前より撮影)。光市文化センターの主業務は、資料の収集、調査、保存、展示と郷土に関する企画展、各種講座の開催などで、市民の美術創作活動発表の場も提供しています。【他の写真】 光市文化センター・全景(東側・光つつじ苑より撮影)。地上2階・地下1階、鉄筋コンクリート造の光市文化センターは、“文化の創造は市民自らの手で”の趣旨のもとに、公益財団法人光市文化振興財団により管理・運営されています。【他の写真】 光市文化センターの東側には光つつじ苑(約10000のつつじ)が広がっていました。その前に建つ、原始時代(弥生時代)の男女

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    jida43456 2021/03/26
  • 光市文化センター(1)わが家所蔵の美術品展(山口県光市光井9丁目) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    光市文化センター。1階の企画展示室で開催された「わが家所蔵の美術品展」(3月14日まで)に行きました。 「わが家所蔵の美術品展」は、市民や企業が所有している秘蔵品、愛蔵品を公開する企画展です。 今回は、洋画、日画、掛軸(書・画)、祝扇、小皿、花器など60点が展示されていました。 洋画と日画のコーナー。山口県山口市出身の画家、小林和作(こばやしわさく・洋画家・芸術選奨文部大臣賞・勲三等旭日中綬章)の作品もありました。 東山魁夷(ひがしやまかいい・横浜市出身・画家・版画家・文化勲章)、木津文哉(きづふみや・静岡県出身・昭和会展・安井賞展等多数受章・東京芸術大学教授)、クスミエリカ(北海道札幌市出身・写真を重ね合わせデジタル処理した非現実のデジタルコラージュ作品作家)等の作品も並んでいます。【他の写真】 山口県萩市出身の中村脩(なかむらおさむ・東京美術学校卒・日展入選・防長美術家連盟代表)の

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    jida43456 2021/03/16
  • 日本ハワイ移民資料館(3)資料館の建物について(山口県大島郡周防大島町西屋代上片山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    【日ハワイ移民資料館・全景】日ハワイ移民資料館(木元眞琴館長)は日初のハワイ移民資料館として、1999年(平成11年)2月8日オープンしました。この資料館の建物は、1995年(平成7年)に事業家・福元長右衛門の自宅が寄贈されたものです。【他の写真】 【日ハワイ移民資料館・玄関】福元長右衛門は1881年(明治14年)生まれ。周防大島町出身です。5人兄弟の次男でしたが、9歳で父親を亡くし、1898年(明治31年)、16歳でアメリカのカリフォルニア州、サンフランシスコに渡り、アルバイトをしながら学校に通い、貿易事業で成功、財を成しました。【他の写真】 【日ハワイ移民資料館1階・福元家の台所】1911年(明治44年)、故郷に戻った福元長右衛門は1928年(昭和3年)、当時の金額で3万円(現在の約3億円)かけて、この木造2階建ての豪邸(和洋折衷)を建築しました。【他の写真】 【日ハワイ移

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    jida43456 2021/03/05
  • 日本ハワイ移民資料館(2)2階展示場(山口県大島郡周防大島町西屋代上片山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    【ハワイでの日教育コーナー】1881年(明治14年)、来日したハワイ王国のカラカウア王が明治天皇に謁見し、移民を要請しました。これにより1885年(明治18年)、明治政府が正式に認めた官約移民が開始され、以後様々な形態の移民が行われました。移民のほとんどは、ハワイのオアフ島や各島のサトウキビ農園に入植していきました。しかし、時が経つにつれて、ハワイ移民の日系一世の人々は、自分達の子供の二世がアメリカナイズされていくことを懸念して、祖国である日の言語や文化を継承するために、日人学校を設立しました。 【ハワイでの日教育コーナー】(歴史教育関係資料の展示)。1893年(明治26年)、最初の日人学校がハワイのコハラ地区に創設されました。サトウキビ畑などで働く日系移民が財源を支出し、次々に日人学校が設立されました。これらの学校の大半は、日の文部省により認定された教師が、文部省国定

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    jida43456 2021/02/21
  • 日本ハワイ移民資料館(1)1階展示場(山口県大島郡周防大島町西屋代上片山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    ハワイ移民資料館。以前にも人を案内して来たことがありますが、”瀬戸内のハワイ”と呼ばれている周防大島(屋代島)の東側の小高いところにあります。この資料館の建物は、事業家・福元長右衛門の自宅でしたが、平成7年に日ハワイ移民資料館に寄贈されました。【他の写真】 TIKI(ティキ)像。TIKIはハワイ~ポリネシア諸島で古代から祭られている聖霊。周防大島には5体のTIKI像がありますが、日ハワイ移民資料館に鎮座している、この像は、Voyage TIKI(ボヤージ・ティキ)で航海を見守る(または学業成就の)聖霊です。【他の写真】 日ハワイ移民資料館・玄関ホール。明治18年~明治27年のハワイへの官約移民は日全国で29084人。そのうち山口県は10424人。中でも大島郡(周防大島)は3913人で、移民の島と呼ばれました。ちなみに、明治18年~明治40年にハワイに移民した日人は、官約移民約

    日本ハワイ移民資料館(1)1階展示場(山口県大島郡周防大島町西屋代上片山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/02/12
  • 道の駅ソレーネ周南(2)自然と融合した癒しの空間(山口県周南市戸田) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    道の駅ソレーネ周南。屋根付き広場のコーナーには、自然と親しめる開放的な休憩所が設けられていました。寒いので人は少なかったですが、ゆっくりと過ごしました。遠くには民家があり、その後方には山々が聳えていました。【他の写真】 屋根付き広場・休憩所のイルミネーション(写真は道の駅ソレーネ周南のサイトより)。1月中旬まで、コロナで多忙な医療従事者の方々に感謝の気持ちを込めてブルーのイルミネーションが点灯されました。 屋根付き広場・休憩所から、石段を下りると、公園の遊歩道があり、散歩やジョギングができるようになっていました。散歩しました。【他の写真】 道の駅ソレーネ周南の西側には夜市川が流れており、親水公園が整備されていました。道の駅ソレーネ周南のあるこの街は、周りが山々に囲まれていて盆地のようになっています。 道の駅ソレーネ周南西側の親水公園の護岸。夜市川は水が少なく、流れも穏やかでした。護岸に腰を

    道の駅ソレーネ周南(2)自然と融合した癒しの空間(山口県周南市戸田) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
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    jida43456 2021/01/29