大仏の下に埋められていた陽寶劔(左)と陰寶劔。矢印部分の裏面に銘がある(25日午後、奈良県生駒市の元興寺文化財研究所保存科学センターで) 奈良市の東大寺・大仏殿内で明治時代に見つかった国宝・鎮壇具(ちんだんぐ)のうち2本の金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)(ともに刃長約80センチ)が約1250年間、所在が確認されていなかった正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」だとわかり、同寺と元興寺文化財研究所が25日、発表した。 陽寶劔、陰寶劔は聖武天皇(701〜756年)の遺愛品で、妻の光明皇后(701〜760年)が献納した後、正倉院から持ち出され、“幻の宝剣”となっていた。 鎮壇具は1907〜08年、大仏の右ひざ付近の須弥壇(しゅみだん)から出土した。金や銀で装飾された大刀6本や銀製小壺(しょうこ)など計19件ある。奈良・同研究所保存科学センターで、金銀荘大刀2本を
金銀荘大刀は大仏の足元から発見された=25日午後、奈良市の東大寺大仏殿、矢木隆晴撮影 約1250年間も行方が分からなかった正倉院宝物の幻の大刀(たち)「陽寳劔(ようほうけん)」「陰寳劔(いんほうけん)」は、東大寺の大仏の足元から100年も前に見つかっていた国宝の金銀荘大刀(きんぎんそうたち)だった。東大寺では今月15日から3日間、光明(こうみょう)皇后(701〜760)の1250年忌が営まれたばかり。なぜ大仏の足元に大刀は埋められたのか? 古代史の謎がまた一つ増えた。 保存修理を任された元興寺(がんごうじ)文化財研究所(奈良市)が、さやに入ったままさびた大刀をX線で撮影したのは9月30日。そこに浮かび上がった「陽劔(ようけん)」「陰劔(いんけん)」の文字に、橋本英将研究員は「除物(じょもつ)」となった正倉院宝物の「陽寳劔」「陰寳劔」だと確信したという。 聖武(しょうむ)天皇の即位
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