標題の書籍を嘗て讀みました。 「舊約聖書の舞臺はパレスチナではなく、アラビア半島西部のアシール地方である」と云ふのが著者の結論です。 讀了して以來、私は著者の主張が正しいと思つてゐます。 サウジアラビアの同地域で考古學的發掘調査が行なはれることを切に望んでゐます。 在地人さん お申し越しの書籍は、噂が1985年頃に耳に入っていましたが、取り寄せて読んでみようとは思いませんでした。 理由は、三つありました。 [1] 古い地名の意味を探る行為は、「研究」とは呼べない場合が多い。 [2] ヘブライ語の文字は、子音しか表記しない。従って、自由奔放な「読み方」が可能。 [3] 古い時代のヘブライ語は、F爺の専門外。そのため、レバノン人でアラブ史学者の カマール・スレイマン・サリービー(كمال سليمان الصليبي)氏の主張が学術研究なのか幻想遊びなのかを判定することが出来ない。他の専門家の