天正三年(1575年)3月16日、今川氏真が上洛し、京都相国寺で織田信長と対面しました。 ・・・・・・・・・・ 海道一の弓取りとうたわれた父・今川義元が、あの桶狭間に倒れたのは、永禄三年(1560年)5月19日(2007年5月19日参照>>)・・・嫡男・今川氏真(いまがわうじざね)23歳の時でした。 相手はご存じ織田信長・・・当時は、未だ自国の領土さえ統一しきれていない一武将でした。 一般的には、この父の死後に氏真が、その家督を継いだとされていますが、最近の研究では、すでにこの時には家督を譲られていた可能性が高いと言われていて、もし、そうだとすると、桶狭間で死んだ義元は、すでに隠居の身であるのですから、今川家当主の氏真が健在な以上、そのまま、普通に領国経営を全うできるはずです。 しかし、そうは問屋は卸さない・・・いや、群雄割拠の中で生き抜いて来た周囲の古ダヌキたちがほっとかない! ご存じの