先達エンジニアに学ぶ 思考の現在地 Online Conference の発表資料です https://findy-code.io/events/v7KebEabaBDzh?fr=event_20240416

僕の場合、実現したいことをコードで書けない時には、ひたすら似たコードを読んで理解して写して…を繰り返す。そのうちに手元に大量の自分のサンプルが溜まっていく。その繰り返しがパターンの細分化を促し、書けるコードの幅を広げていく。書けるコードを気持ちよく書き続けてるだけでは新しいコードは書けないからだ....と、向き合えるようになるには時間がかかった。 書き慣れたコードの延長で書いていると、自分でコードを書けている実感があって、リファレンスなど何も見ずに自分の力でプログラミングできている感があるのだが、ある時これはただ「慣れ」の感覚を高めているように思えた。素早く書けること自体は、それはそれで一種のスキルで素晴らしいのだけど、実現したいことをコードで書けるようになる、という観点で振り返ったときに、どうしても成長を感じなかったのだ。それ以来、まずいと思い、実現したいことを思い描き、それを実現するた
ありのままを言ってしまえば私は不登校児でした。 中学3年の頃にクローン病という難病にかかり、普通の生活から入退院を繰り返す生活になって学校に通うどころではなくなりました。 授業にまともに出られないのだから当然成績なんてひどいものです。試験を受けてもまったく知らない単語が並んでいるので答えようもありません。試験中にふてくされ、あまりに暇なこともあり、解答用紙に落書きをして先生にひどく叱られました。 そのうちにバカらしくなって学校に通うのを放棄するようになりました。体調が良かろうが悪かろうが学校を休みます。週に数日行ったところで授業の内容なんてわかりっこないですし、面白くもなんともありません。それなら無理に通わずに家で好きなことをして療養していたほうがましです。 私がPCを触り始めたのはその頃でした。暇を持て余してオンラインゲームを始め、ウェブに触れ、友達ができ、毎日やり取りをするようになりま
15歳でデビューした芸能界、大学で始めたプログラミング…偶然が作った自分だけの生き方。”ギークな女優”が歩んできた、これまでの道程 今回、話を伺ったのはプログラミングができる女優として活動する、”ギークな女優”こと池澤あやかさん。世間一般がイメージする”タレント”という枠を越え、幅広いフィールドで活動する彼女の生き方は一見、戦略的にも見えます。 しかし、彼女のキャリアを紐解いていくと、ターニングポイントで出てくるワードは全て偶然。そんな彼女はどうやって自分の”やりたいこと”を形にしていったのでしょうか?池澤あやかさんの生き方から、自分らしい働き方”をするためのヒントを探っていきます。 【プロフィール】 1991年大分県生まれ。慶應義塾大学SFC環境情報学部を2013年に卒業。2006年の第6回東宝シンデレラオーディションで審査員特別賞を受賞し、同年映画『ラフ』にてデビュー。映画『デトロイ
1990年代後半から2000年代前半辺りまで、プログラミング言語を学ぶなど一部のコンピューターオタクがすることであって、10代や20代の好奇心旺盛な若者が学ぶことにはとても思えませんでした。 当時ちょうどグローバル化が本格的にスタートした時期でもあり、プログラミング言語なんかを学ぶをよりも、英語を学ぶことに力を入れる学生の方が圧倒的に多かったように思います。 ↑1990年代、プログラミングはまだまだオタクの領域だった。 当時、僕の周りでも多くの人がサッカーや野球に夢中になる中で、コンピューターに夢中だった友達は「オタク」、「性格が暗い」など言われ、とても女の子にモテたり、学校で人気者になる存在ではなかったように思います。 そんな中、もし僕がこのビル・ゲイツ氏の言葉を聞いていたらコンピューターに夢中になる友達の視線も変わっていたのかもしれません。 「オタクには親切に。あなたたちは、いつか、彼
◆ はじめにおことわり ◆ 今回のテーマは「わたしがプログラマという職業を選んだ理由」で、実は1行で書こうと思えば書けるんですけど、それだとかなり意味不明になってしまって、ちゃんとわかるように書こうとするとやたら長くなります。 自分で言うのもなんですけど、わたしはちょっとレアな人なので普通な人(←表現がおかしい気もするけど、適切な表現が思いつきません)に読んでいただいても、進路選択の参考にはならないと思いますが、もしかしたら、昔のわたしと似たような問題にぶちあたってる人の目に留まるかもしれません。そんな偶然が存在して、なおかつ、この出会いがほんの少しでもよい方向に作用することを期待して、この文章を書きました。 少々、重いお話になるので、そういうのが苦手な方はここで引き返すことをおすすめします。せっかくきてくださったのに、申し訳ありません。 ◆ 10才のわたしは20才の自分に絶望していた ◆
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