10月31日午前11時すぎ、兵庫県佐用町上三河の民家で、ウッドデッキにクマが横たわっているのを住人の男性(73)が見つけた。町によると衰弱していたとみられ、翌1日になってもその場からほとんど動かず、町が県から許可を得て駆除した。 クマは、ツキノワグマの高齢の雌とみられ、体長は約1メートル20センチ。住人は一時敷地内の別棟に移り、町職員が交代で現場を監視したり、防災行政無線で周辺住民に注意を呼び掛けたりした。
自身がプログラミングした「ピンボール」の画面を見せながら当時を振り返る松岡さん=神戸市中央区港島南町7、理化学研究所計算科学研究センター 神戸・ポートアイランドのスーパーコンピューター「富岳(ふがく)」の開発を主導した理化学研究所計算科学研究センター長、松岡聡さん(58)に、もう一つ開発したモノがある。家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」で大ヒットしたソフト「ピンボール」だ。40年近く前にゲームプログラマーとしてハードウエアと向き合った経験は後のスパコン開発につながっている。(霍見真一郎) 松岡さんは東京出身で、1963年生まれ。科学館のような施設に小学2年生から通い始め、電気工作などに没頭した。 「作るのが面白かった。ラジオを鳴らしたり回路の働きを学んだり。科学少年でしたね」 ちょうど米国のアポロ宇宙船が月面着陸した頃で皆が宇宙飛行士に憧れたが、松岡さんはロケットを作る
28日で閉店する百貨店ヤマトヤシキ姫路店(兵庫県姫路市)の建て替えを惜しむ声が、建築関係者らから上がっている。同店の設計は、関西を拠点に旧大丸神戸店(神戸市中央区)など数々の名建築を残し、文化勲章を受けた村野藤吾(1891~1984年)。播磨地域では唯一の村野作品が姿を消すことになる。(田中真治) 現在の形のヤマトヤシキは姫路初の百貨店として、1951年11月23日開業。村野の設計による建物は鉄筋コンクリート4階建てで、57年には地上8階(塔屋部分12階)、地下2階建てに。計4期の増改築と外装工事を経て83年に全館完成した。村野の資料を保存する京都工芸繊維大美術工芸資料館には、第1期の設計から増改築時の図面まで約600点が残っているが、詳しい調査はされていないという。 「塔屋や階段は当初の姿をよくとどめている」と、笠原一人・京都工繊大助教(47)。今でも駅前から目に入る塔屋は「姫路のシンボ
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