HN:LSTY(エルエスティーワイ) □名前の由来 年齢:ほぼ50歳 性別:男 ■ 趣味:著作物全般の鑑賞・飲酒 ■ いらち・いちびり・いらんこといい ■ ほしいものリスト ■ ここ以外の活動場所 Twitter: LSTYpt3 ※たまに非公開にすることがあります。 雑談と本棚 : Twitcasting YouTube : Gavacho Music SBM : 小さなトカゲ展 Novel : 小説家になろう ■ 転載について:私が書いた文章はすべて転載自由ですが、出典の明記およびリンクをお願いします。 ■ コメントについて:名前(ハンドルネーム含む)を 明記していないと思われるコメントには原則として回答しておりません。 宣伝目的だと判断した場合、また記事と無関係だと判断した場合、削除することがあります。 私あるいは第三者の個人情報や個人を特定できるような情報が含まれている場合、該当部
やや唐突ですが僕の友人のユダヤ系アメリカ人から面白いメモをもらったので、本人了解のもと転載します(名前は一応仮名にしておきます)。原文は英語ですが適当に訳してみました。事実誤認など突っ込みどころ満載なんですがあまりに面白いのでそのままにしてあります。 僕から見ると皮肉が利きすぎているように思うのですけど、本人はいたって大真面目のようです(笑)。どっかに載せるつもりなんだろうか。止めといた方がいいと思うけどなあ。わはは。 日本語で上手な文章を書くには アイザック・シュワルツ(仮名) 私たちには日本の公立学校に通う小学6年生の娘がいる。彼女は小学生になる前から日本で暮らしているため日本語には不自由していないのだが、毎年の夏休みの課題でどうしても良い評価をもらえないものがある。読書感想文だ。 日本の小学校には課題図書というものがあり、全国の小学生たちはみな同じ本を読んでそれについて感想文を書くこ
「Blog向上委員会」の「閉鎖」 http://mizunohosi.jugem.jp/?eid=172 僕も以前やっていたサイトを「閉鎖」したことがあるのですが、結局閉鎖は長続きしませんでした。なんだか落ち着かないんですよ本当に。そして、その経験から学んだことは、「普段はそんなにリアクションはなくても、ちゃんと読んでくれている人はいるのだ」ということと、結局、「サイトの更新に追われるのが嫌になったから」という理由で閉鎖しても、それが無くなったらけっこう寂しいものなのだ、ということでした。サイトなんて無ければ無いで死ぬわけでもないし、そもそも、こういう形で個人が書いたものをそれなりの数の人が読んでくれるなんていう状況が未来永劫続くわけもないのだろうな、とは思うのですけど。 例えば朝起きて、今は夏休みだけど、学校に行って、学校に行っている間もブログのネタを無意識の内に探しているような気がして
見慣れた景色や言葉の中にも、何か心に引っかかる謎が潜んでいることは多いものです。そして、その謎に隠された秘密を解き明かそうとすると、「さらに奥にある部屋への鍵」を手渡される、ということも多いものです。 最近、私が見たそんな「謎」は「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい "But whoever strikes you on your right cheek, turn to him the other also."」という言葉です。新約聖書マタイ伝の中に書かれているイエス・キリストの言葉です。この言葉を聞いた人が書いた、「あれ?ふつう右利きの人がほとんどですよね?だとしたら、右の手で相手をぶつんだから、(頬をぶたれる側の人からすれば)左の頬を打たれることになるんじゃないですか?最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問を眺めたのです。…確かに、不思議です。世の中の9
環境問題の本質は、被害者である未来世代の人間が、現在の我々と対話することできない「本質的に無力な他者」であるところにあります。しかし、「先延ばし」によって被害を受ける「未来の自分」は、この「無力な他者」と同じなのではないでしょうか。今日は、「先延ばし」を潰すにはどうすればいいかを考えます。 「悪魔」の一員だけあって、経済学者の論理は完璧です。(私自身この論理を三〇年教えてきました。)実際、一九九七年の地球温暖化防止に関する京都議定書は、この論理を取り入れました。先進諸国に温暖化ガスの排出枠を権利として割り当て、その過不足を売買することを条件付きで許したのです。(中略) では、これで環境問題はすべてめでたく解決するのでしょうか。 答えは「否」です。わが人類は不幸にも、経済学者の論理が作動し得ない共有地を抱えているのです。 それは「未来世代」の環境です。 岩井克人「未来世代への責任」より 今日
リンクをたどって旅をする 職場の先輩は、昼の食事の時間をデスクで過ごす。弁当を食べつつ、ある一定のルールを自分に課しながらYouTubeを観ている。そのルールとは「旅をすること」。 例えば最初にウゴウゴルーガの懐かしい映像を観たとしよう。ウゴウゴルーガでたくさんヒットするが、ウゴウゴルーガは絶対に1本しか観ない。そこから派生する別のキーワードの映像を追って行って、昼休みの終わりにどんな映像にたどり着くかを楽しむのだ。彼はこれを「YouTubeの旅」と呼んでいる。なるほど納得の楽しみ方だ。 ひとつ前のエントリでこんなこと書いて。 昔の個人サイトについて書いたりしたんだけど、あの頃は閲覧する側も違ったよね。個人サイトのリンクページを辿って旅をする楽しみ方があった気がするの。それぞれの管理人さんの紹介コメントを頼りに、まァつまんないページにもたくさんぶつかりつつ、お気に入りのサイトを見つける
最近更新が少ないのは,日常のしょーもない事をmixi日記の方に書くようにしているためです.つまり今までの松坊堂日乗は殆どがしょーもない話題だったって事ですね. まだだ,まだやめはせんよ. しかし方向性はそろそろ考えておいた方が良いかも知れぬ. 結構前の事だが, 仕事の合間に外で一息吐いていると,止まっているトラックに「軽油価格急騰に団結して対抗せよ 東京都トラック協会」と言ったステッカーが貼ってあった. (文言は詳しく覚えていないが確かこんな感じだった.) 恐らくこれから先,原油価格は急騰前の水準に戻るなどという事は無いだろう. そうすると物流の業界にも大規模な再編が起こるだろう.日通のように一貫配送が良いのかヤマトのように中抜き配送が良いのか.ドライバーが酷使される現状はどう変わるのか. 物流のコストは物価に直結する.特に,ヤフオクとか楽天で見つけたレアなアイテム何つーのを運ぶために
巡回してるいくつかのサイトで揉め事というか、討論というか、そのようなものをちらほら見かけます。俺はそういうのにはいつも首をつっこまず静観してます。冷たい人間とかじゃなくて単に首をつっこみたくないだけです。 つっこんでなにかが起こるのが怖いってのもあるんですけど、揉め事って視てる分にはおもしろいんですよね。格闘技観戦と同じだな。やるほうがおもしろいっていう人もいますが、視てるほうが楽しい人も多いはず。そういうのを視て楽しんでいる、やっぱ人間は野蛮な生き物なんですよ。 まあそんなことはおいといて、うちはそう大きな揉め事がまだ起きてはいないんですが、やっぱそのうち一回ぐらい荒れるかもしれません。回避続けることは不可能だと思うから。俺からはつっかからなくても相手が一方的にやることはありますから。揉め事は必ず起こるんです。 ■起こるのは必然 揉め事を起こす要因は二種類いると思う。揉め事を起こす人と揉
ふと思ったんだけど、ある特定の人物をけなすよりも、ほめる方がリスクは大きいんじゃないか? 僕は先日、良い文章を書くなあ、と思ったブロガーを3人挙げたわけです。で、書いてみて思ったのは「ここに挙げなかった人はひがんでるんじゃないか?」とか言うこと。 自意識過剰だろ、お前の評価なんて誰も気にしてないよ、と言われればそれまでだけど、もし自分が読んでるブログ(相手のブロガーも僕の方を読んでいる所)で「私が読んでいるブログベスト10」とかがあってですよ、そこに僕のブログが入ってなかったら、軽くショックだよね。誰だって「自分だけは特別だ」と思いたいものなのです。少なくとも僕の中にはそういう感情がある。 特定の人をほめると、それ以外の多数の人が「私は選ばれなかった→くやしい→くそー」と思う。そこまで思わなくても、ちょっとやな感じになるんじゃなかろうか。 逆に、特定の人をけなした場合、けなされた当人は確実
「この件につきまして、発表させていただきます」 この手の「させていただく」表現が世の中に溢れかえっている。 目立つようになってからもう長いことたつのでそろそろ収まるかと思っていたが、 ぜんぜんやむ気配はない。むしろしょうけつをきわめる一方である。 こいつが大嫌いである。もとより人に頭を下げるのが嫌いな元軍人の父をもち、 武士は食わねど高楊枝をきめこんでいるような偏屈な男であるから、 へり下る敬語表現自体をあまり好きでないという傲慢なところがある。へん、 オレがあんたに発表させてやってるってわけじゃないだろ? 自分の発表だったら堂々と自分の意志でやってるんだという態度でしゃべれよな、 というわけだ。 ところがそういう時代遅れの中年オヤジの意固地な思いなぞ、 もちろん誰にも聞こえるわけはなく、 あらゆるところでこの軟弱卑屈が幅を利かせるようになってしまった。 ちょっと巷の文例を蒐集してみたので
一昨日のエントリのブクマを見ていて気になったことが何点かあるのでちょろっと。こうやってブクマを引用して記事を書くというのもちょっと妙な感じ。なんとなく合わせ鏡を見ている気分。 lsty 『[web][blog]悪いがちゃんちゃらおかしい。注目や批判や悪口が辛いのなら、webで意見公開する資格がないということだ。』 うーん、論に対する批判と、暴力的な言葉による人格攻撃を同列に語るのはいかがなものかと。批判や反論であればあってしかるべき。それもはてブのひとつの肝でもあると思う。しかし誹謗や悪口まで黙って許容しなければいけないのだろうか。それが辛い人間はWEBで意見公開してはダメなんだろうか。 takopons 『[sbm]「システムが越えていかねばならない壁だろう。」←受取側(被ブクマ者)の精神的ひ弱さの問題だろう。』 「弱いからダメ」とか「公開してるんだから仕方ない」、「どこにでも悪意は必ず
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