武蔵神童は「無駄」「失敗」で世界を変えていけるか 一方、永田町界わいでは、自らの政治理念が揺らいでしまう武蔵神童の衆議院議員が2人いる。 井出庸生(1996年卒)は東京大教育学部からNHKを経て政界入りした。祖父は元内閣官房長官。井手の所属政党はめまぐるしく変わった。みんなの党(2012年)→結いの党(2013年)→維新の党(2014年)→民進党(2016年)→希望の党(2017年)→無所属(2018年)。 その後、希望の党は民進党が合流して国民民主党を作ったが、井出は同党に加わらなかった。現在は無所属。 「無所属という選択が正しいのかどうかは、今後の活動次第、ここからがまたスタートだと考えています」(井出のウェブサイト)。 松本剛明(1978年卒)は、東京大学法学部、日本興業銀行を経て政界入りする。父は元防衛庁長官、高祖父は伊藤博文というキラキラの政治家一族だ。 ©iStock.com
昨春にも著書を出版、生涯現役だった ©文藝春秋 経済企画庁長官や自民党税調会長を歴任した相沢英之元金融担当相が、4月4日、肺炎のため亡くなった。一線を退いてから15年余。享年99。 相沢氏は1942年に大蔵省に入ったが、直後に召集。終戦後、3年間のシベリア抑留を経験した戦中派の存在感は濃厚だった。省内でも溢れる野心を隠そうとしなかった。ダンディな風貌とがっしりした体格で、女性にもよくモテた。妻に先立たれた相沢氏が15歳年下の女優・司葉子さんと再婚して話題を呼んだのは69年。大蔵官僚として出世街道を駆け上がっている真っ最中だった。「相沢さんもこれで落ち着いてくれるな、とほっとしたよ」と、苦笑いしながら振り返る後輩もいる。 「きょうは誰も入ってくるなよ」。主計局長当時、予算の原案ができると各省庁への内示を一日延ばして、局長室に一人籠った。有力政治家に次々と電話をかけ、要望があった事業の査定結果
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