《昭和48年、2年間勤めた阪村機械製作所を辞めた》 会社に不満があったとか、覚悟を決めて別の目的に進むとか、そういった理由はありませんでした。ただ幼なじみに、「いっしょに翻訳の仕事をしよう」と誘われ、軽い気持ちで辞めてしまったのです。アルバイトの延長のように入社し、海外勤務までさせてもらい、会社には感謝の気持ちしかありません。辞める直前、社長室に呼ばれたので「怒られるな」と思っていたら、「阪村で働いてよかった、と思うときがくればそれでいいよ」と言ってくれました。 社長にはジャパネットを始めてから、何回かお会いしました。亡くなられたときはお別れの会にも出席させていただいたのですが、その後、奥さまからいただいた手紙に「闘病中は高田さんをテレビでみるのを楽しみにしていました」とつづられており、改めて感謝の気持ちが深まりました。 幼なじみと始めた翻訳業ですが、うまくいくわけもなく、半年もすると貯金
![【話の肖像画】ジャパネットたかた創業者・高田明(10)退職…実家のカメラ店へ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/58b5dbd24f552e251679d03e5c1a2622db4f76e4/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fresizer%2FpCpCgsGP8PA-jx0bu_wqByw5PU8%3D%2F1200x630%2Fsmart%2Ffilters%3Aquality%2850%29%2Fcloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com%2Fsankei%2F6MU6N4O63VPVPJJWWLRQKTC2KE.jpg)