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ブックマーク / number.bunshun.jp (9)

  • 「クレイジージョブ? 代表監督は幸せな仕事」森保一が語った“続投”決定前の本音「批判は気にならないし、逃げ出したいと思ったこともない」(飯尾篤史)

    先日、2026年W杯までの“続投”を発表したサッカー日本代表・森保一監督(54歳)。東京五輪代表チームの立ち上げから5年、その戦いぶりを現地取材してきたスポーツライター飯尾篤史氏が、多くの批判を受けながらも信念を貫いてきた勝負師の音に迫った(全3回の1回目/#2、#3へ)※インタビューは2022年12月28日の続投会見の前に行ったものです。 ――先日、ある日人監督の方がこんなことを話していました。「日本代表監督になるのが目標だったけど、自分には無理だな」と。「あれだけ批判され、重圧が掛かって、一筋縄ではいかない選手たちを束ねたうえで、あの舞台で結果を引き寄せるなんて、自分にはできそうもない」と。 森保一(以下、森保/敬称略) でも、責任という意味ではクラブの監督も代表チームの監督も変わらないと思いますよ。クラブの監督だって、もちろん批判に晒されますし。 ――でも、注目度や批判の量は全然

    「クレイジージョブ? 代表監督は幸せな仕事」森保一が語った“続投”決定前の本音「批判は気にならないし、逃げ出したいと思ったこともない」(飯尾篤史)
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    jsoizo 2023/01/01
  • 「まさか“本田圭佑”の横でW杯を実況するとは…」ABEMA中継で話題の寺川アナが“ホンダ解説”を振り返る「麻也って呼んでしまった」(林遼平)

    カタールW杯で初めて「解説」を務めた田圭佑。試合の流れを先読みした発言やオリジナリティある“呼び名”などで話題を集め、その言葉の1つ1つはSNSでトレンド入りするまでになった。そんな田の横に座り、ABEMAでの日戦中継の実況を担当したのは、『きょうの熱盛』でお馴染みのテレビ朝日・寺川俊平アナウンサーだ。日の快進撃を伝えた舞台裏に迫る(全3回の1回目/#2、#3へ) ――カタールW杯では田圭佑さんとの実況・解説コンビが話題となりました。田さんとタッグを組むと聞かされた時はどんな心境でしたか。 寺川俊平アナウンサー(以下、寺川アナ) 9月ごろにW杯の中継を担当することが決まり、田さんが解説を務めることは後になって知りました。W杯で実況したいという思いでキャリアを進めていましたが、まさか日本代表のレジェンドである田さんの横に座って実況する日が来るとは思っていませんでしたね。しかも

    「まさか“本田圭佑”の横でW杯を実況するとは…」ABEMA中継で話題の寺川アナが“ホンダ解説”を振り返る「麻也って呼んでしまった」(林遼平)
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    jsoizo 2022/12/22
  • 三笘薫“奇跡の1ミリ”、あの“証拠写真”を撮影した外国人カメラマンに直撃取材「なぜ撮れた?」「地上50mからニッポンのゴールを待っていた」(齋藤裕)

    強豪スペインに2-1で逆転勝利を果たし、世界に衝撃を与えたサッカー日本代表。その逆転劇で話題となったのが三笘薫のライン上ギリギリのアシスト写真だ。ボールの表面わずか1ミリほどが線上に残っていた瞬間を示すこの1枚。日のメディアでも多く使われたこの“証拠写真”を撮影したのがAP通信のフォトグラファー、ペトル・ダビド・ヨセクさんだ。開会式翌日の11月21日に43歳となったチェコ出身のヨセクさんに「あの瞬間をどのように撮ったか」を聞いた。 試合を象徴するようなシーンを捉えることができたのかな ――ライン上に残っていたか世界的にも議論となったプレーについて、ヨセクさんの写真は、その決定的瞬間を捉えており、日でもとても話題となっています。率直にどう感じていますか? ヨセク 多くの人に注目いただいていて、光栄に思います。あの瞬間をしっかり写真に収めることができて、幸せに感じますね。あの写真があったか

    三笘薫“奇跡の1ミリ”、あの“証拠写真”を撮影した外国人カメラマンに直撃取材「なぜ撮れた?」「地上50mからニッポンのゴールを待っていた」(齋藤裕)
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    jsoizo 2022/12/05
  • 大逆転負けから4年、平野歩夢が実行した“採点競技の勝ち方”…ショーン・ホワイトと「同じようなフィニッシュ後の表現はできない」(矢内由美子)

    北京から北へ約180キロ。スノーボード男子ハーフパイプ予選が行われる張家口・雲頂スノーパークに向かう早朝の高速鉄道には、北京五輪が始まってから最多と見られる人数が乗車していた。報道陣用のシャトルバスも満員。たどりついたメディアセンターは超満員。机を確保できないメディアが続出していた。 これまで予選ではフリーパスだったミックスゾーンでの取材にも特別チケットが必要。耳を澄ませば英語中国語、韓国語、ドイツ語など、いくつもの言語での会話の中で「ヒラノ」「ジャパン」という固有名詞が聞こえてきた。 「ショーン・ホワイト」「スコッティ・ジェームズ」という名前も聞こえる。 “驚愕のエア”に会場がどよめいた 狂想曲が始まろうとしていた。 長さ220m、幅22m、斜度18度、パイプの壁の高さ7.2m、パイプの縁から下への角度82度。パイプを見上げる招待客や関係者、報道陣、誰もがワクワク感にあふれる表情をして

    大逆転負けから4年、平野歩夢が実行した“採点競技の勝ち方”…ショーン・ホワイトと「同じようなフィニッシュ後の表現はできない」(矢内由美子)
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    jsoizo 2022/02/12
  • 甲子園決勝は本当に明日でいいのか。金足農業・吉田輝星の投球数が……。(氏原英明)

    過去に何度も見た光景だった。 表現としては“末恐ろしいピッチャー”だ。 秋田県大会からすべてのイニングを1人で投げぬいている金足農のエース・吉田輝星がまた、快投を見せた。 準決勝の日大三戦では、2点を先行すると、そのアドバンテージを最大限に生かすピッチングを展開。ピンチに陥ってもしっかりと間を取り、走者のスタートを一歩ずつ遅らせ、打者に対しては変化球を低めにコントロールして、ギアを上げたストレートで強力打線を黙らせた。 5試合連続完投勝利は見事というしかない。 限界を超えていてもおかしくない心身の状態でありながら、それでも快投をみせる。 しかし、吉田のような投手をみたのは過去に1度や2度ではない。 「投げないという選択肢はなかった」 2006年の斎藤佑樹(早稲田実)しかり、2008年の戸狩聡希(常葉菊川)、2010年の島袋洋奨(興南)、2013年の高橋光成(前橋育英)……。筆者が取材現場に

    甲子園決勝は本当に明日でいいのか。金足農業・吉田輝星の投球数が……。(氏原英明)
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    jsoizo 2018/08/21
    高校サッカーなんかはプレミアを頂点としたリーグ制やBチームの運用等で比較的うまく回っているほうなのかも。県リーグにすら行けなくても真剣勝負がインハイとは別であったのは良かった。
  • 就活生に贈るジェフ町田也真人物語。人生を変えたブライダル会社の面接。(杉園昌之)

    街でリクルートスーツの大学生を見ると、ふと昔の自分を思い出し、エールを送りたくなる。 「頑張れよ。あきらめるな」 昨季からジェフユナイテッド千葉の背番号10を背負う町田也真人(まちだ・やまと)も、一般企業の就職活動を経験した1人だ。 時代はリーマンショックの影響で就職氷河期と言われた頃だ。2010年、専修大学3年生の12月。親から譲り受けたノートパソコンを開き、リクルートの「リクナビ」など、複数の就職活動サイトに登録したことをよく覚えている。 当時、専修大は関東大学2部リーグから1部昇格を決めたばかり。町田はチームの主軸として活躍していたが、プロから注目されるような存在ではなかった。年代別日本代表の経験もなければ、大学の地域選抜に名を連ねたこともない。 「気でJリーガーになりたいと思っていたけれど、イメージはまったくできなかった」 当にサッカーで生きていけるのか――。大学4年生を迎える

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    jsoizo 2018/04/26
  • J2名岐ダービー伝説、パート2。史上初、前売り完売の奇跡と……。(安藤隆人)

    「やっぱりこれが物のダービーマッチだよね!」 J2第35節のFC岐阜vs.名古屋グランパスの通称「名岐ダービー」直前。岐阜出身である筆者は、故郷の友人のひとりと興奮しながらそんな会話をかわしていた。 今年2度目の名岐ダービー。 岐阜にとって、カターレ富山との「東海北陸ダービー」、富山と松山雅との3クラブ合同の「TOP OF 北アルプス」、ツエーゲン金沢との「白山ダービー」などなど……これまでFC岐阜がかかわる試合で「ダービーマッチ」と名付けたものは複数あったが、どれも岐阜にとって「物のダービー」ではなく、申し訳ないがどこか商業的な匂いがしていた。極端に言えばチケット販売のために営業面から強引にダービーに祭り上げてきたようなものに見えた。 だが、名古屋が相手となると話が違う。 名古屋駅と岐阜駅はJRの東海道線の新快速を使えば、僅か18分。各駅停車でも25分程度と、隣接している。それゆえ

    J2名岐ダービー伝説、パート2。史上初、前売り完売の奇跡と……。(安藤隆人)
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    jsoizo 2017/10/03
  • 3バック+マンマーク+ハイプレス。躍進する伏兵の「ポゼッション殺し」。(北條聡)

    ネイマールを押さえ込み、ブラジル相手にスコアレスでの引分けをもぎとったメキシコ。決勝トーナメント初戦の相手はオランダ。1対1の文化を持つ強豪相手ににどんな戦いを見せてくれるのだろうか。 栄枯盛衰は世の習いである。前回王者のスペインが真っ先にブラジル大会から姿を消した。いかにスペインに追いつき、どうやって打ち負かすか。南アフリカ大会からの4年間、世界各地でスペインの打ち立てた世界標準(ボールポゼッション)にキャッチアップする動きと同時に、それを封じ込める新しいアイディアの追求が活発だった。 前回の南アフリカ大会では守備の局面で自陣に後退し堅固な「ブロック」を構築するチームが少なくなかった。だが今大会では最終ラインを押し上げ、前線から球を奪いに行く「ハイプレス」の復活が目につく。この前進守備は一のパスで背後のスペースを突かれるリスクがある反面、高い位置で球を奪ったときのリターンも大きい。ダイ

    3バック+マンマーク+ハイプレス。躍進する伏兵の「ポゼッション殺し」。(北條聡)
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    jsoizo 2014/06/29
    ザックも日本で似た類のコトやろうとして失敗した。個々の強さが足りないと押し負けるのよね。
  • <Jリーグ20年記念> ベンゲル&ストイコビッチ 「欧州式コレクティブサッカーの衝撃」~1995年:名古屋グランパス、“鮮やかな変身”~(戸塚啓)

    Jリーグが20年目を迎えた。 リーグがこの20年で見せた発展の背景には、来日した世界的なスター選手や名将、類稀な能力を持った日人選手たちの尽力があった。節目の年、改めて彼らの足跡を辿った。 ウェブでは、Number798号「<Jリーグ20年記念> 歴史を動かした20人。」 から、名古屋グランパスの飛躍の物語を特別公開。かつて「Jリーグのお荷物」と揶揄されたチームを鮮やかに変えた、後の世界的名将の手腕に、当時の主力選手の証言で迫ります。 クラブの歴史を大きく変えてくれた意味で、名古屋グランパスには感謝をしなければならない人間が少なくともふたりいる。ひとりはフース・ヒディンクで、もうひとりはテレ・サンターナである。 Jリーグが2年目を終えた'94年オフに、名古屋は新たな監督を探していた。最初にオランダの名将に声をかけたが、母国の代表監督になるのでと断られてしまう。次にブラジルの名伯楽を誘った

    <Jリーグ20年記念> ベンゲル&ストイコビッチ 「欧州式コレクティブサッカーの衝撃」~1995年:名古屋グランパス、“鮮やかな変身”~(戸塚啓)
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