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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (7)

  • それは自分なりによくわかる - finalventの日記

    レスのようだけど、話題はむしろモヒカンのようにシフトしているという関心で。参照エントリが短いので比較して引用部分は大きくなってしまうけど。 ⇒夏のひこうき雲 - 悪意ととる感性への敗北 真のモヒカン族になりきるなら活性化は可能だけど、それはたぶんとてもよくないことのような気がするし。 でもまあ客観的な意義は大きいようにも思える。ある種の予防にもなる。自分を押しとどめるのは、憎まれ役になることを回避しようという保身の気持ちであるようにも思える。よくわからないな。 私が文脈を外しているかもしれないけど、すでに一部では進行しているっぽいのだが、それなりに注目されているブロガーが別ハンドルでぶくまとかで扇動していたりしているみたいに、私なりとかが数名組んで、別匿名で、あるネットの活動を展開したりすると仮定する。冗談でいえば、finalventほのめかしなし、みたいな。その暴力性みたいなものはどんな

    それは自分なりによくわかる - finalventの日記
  • 曇天 - finalventの日記

    雨は少し降るかもしれないがたいしたことはないだろう。そろそろ晴れるんじゃないかと思っていたし、天気図を見ると明日あたりから晴れそうかと思うのだが、前線の影響があるのだろうか。と台風を発見(15号)。これが沖縄のほうに押してくるのか。 ネットの関わりがモバイル系にシフト。あるいはモバイル系でなくても、そちら側のスタンスからPCへという感じもする。無理に感覚をシフトさせるつもりもないので、感覚の揺れみたいのも見ている。 昨日は極東ブログに少し息抜きお料理エントリでも書こうかと思って、ためらっているうちに時間を失った。ブログがまた別の意味でよくわからない。半径1クリックでないところがネットなんだからしっかりエントリ書けよと思う面もある。ただ、そこで無理もしたくない。 はてながますますわからなくなる。スターあたりだろうか。ぶくまとスターが関係しているらしいし、そんなの見ればわかるんだけど、ぶくまコ

    曇天 - finalventの日記
    juan-roman-yoshida
    juan-roman-yoshida 2007/10/03
    「緩やかなナイーブな発言を包み込むような小クラスターを保護するような全体のシステム意志みたいのはほしい」
  • finalventの日記 - これだけど(『新聞没落』について)

    ところでgeenさんってランスロさん? ⇒green - 新聞没落 話はあらかたそーだよねでもあるんだけど。 日の戸配新聞は、ちょっと外国の新聞とは別のものだと思う。高級紙と、宅配タブロイドと、広告(誌面の30%以上は広告だし、実はかなりが出版社の広告)なんだが、もう一つ、あれです、実は、市民社会監視の機能がある。 この市民社会監視が実はかなりキモーイしろもので、あまり議論されていない。(実は先日の闇のなんたら事件も核心はネット犯罪ではなくてこっちにあったのだけどね。) で、これは副産物であって、実際の主産物は、地域の広告媒体。つまり折り込みチラシ。これがけっこうバカにならない経営源になっているのだが(なので押紙はこの副作用ですらある)、その構造がどう崩れるか。つまり、地域広告媒体がどう崩れるかで、実は大手紙が潰れる(理論的にはで実際は微妙)。 いわゆる大手紙というのは、日経はそもそも別

    finalventの日記 - これだけど(『新聞没落』について)
    juan-roman-yoshida
    juan-roman-yoshida 2007/09/21
    新聞 広告 メディア チラシ 
  • まあこれを言うのもなんだけど - finalventの日記

    これを言うのもなんだけど、日の場合社会的な知性というのが倫理の踏み絵に会い、そこで微妙に左翼がかるようにできている。逆にいうと、右傾で知性のある人はそれにすねている的ポジションもある。 さすがにマル経とかマルクス系の社会学とかも消えたが、というか、ニューアカというのは左翼のリニューアルでしたが、まあ、それも消えた。でなにが出てきたかというと、特にないような感じがする。フォーリンアフェアーズとかきちんと読んでいる人というのが普通にはいなくて、なんかどっちかというとオタっぽい。 私の世代からそうだけど、サブカル系が知性だっぽいトレンドがあり、これは、なんというかとほほ。 米人の知識人とかは、そういうなんというか邪道がないので、けっこうごりごりとインテリ。その割に、なんか倫理的には幼稚な印象を受ける。 知識・知性というのは、カルチャー的な志向とは違った、もっとべたものだろうと思うが、あまり見か

    まあこれを言うのもなんだけど - finalventの日記
  • 赤紙 - finalventの日記

    という言葉をとんと見かけなくなったし聞かなくなった。現物のリアリティを知る人が少なくなったからだろう。 すでに昭和40年代ぐらいから戦争が神話化していたように思う。赤紙=徴兵、というシンボルに直結していた。しかし、実際に諸処赤紙に触れた人のリアリティは奇妙な重層性があった。もちろん、戦争反対・賛成といった二極の直線的なものではないのだが、昨今の議論とかそいう一次元的な話が多すぎだな。私がネットウヨ?とかさ。 今の全共闘世代がハイティーンだったころ、その上の世代のべた左翼に誘導されて、「どうしてお父さんたちの世代は戦争に反対しなかったのですかぁ!」みたいな声を上げていた。戦中派のお父さんたちは答えられなかった。その答えられなさかげんを子供の私は見ていて、ああ若者ってバーカだなと思った。あんなバーカな若者になるのはいやだなと思った。つまり、全共闘世代みたいになるのだけはごめんだな、と。 小林秀

    赤紙 - finalventの日記
  • 小林秀雄の読み方 - finalventの日記

    いわゆる近代批評の部分確立した小林秀雄というのは「モーツアルト」で終わりなんですよ。 あるいはその延長というか。「ゴッホの手紙」とかけっこうどうでもいい。 その意味ではこれが必読ですよ。 小林秀雄: 江藤 淳 小林が長谷川泰子関連のどたばたで自殺しようとした遺書まで含まれていて、そのあたりは圧巻です。よく小林がこれを公開したものだというか、このころ小林は江藤に賭けていた部分もあったのかと思う。 ただ、江藤のこの作品は、作品としてみると、けっこうとほほ。 この問題はこれとも関連。 これ⇒極東ブログ: [書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護) で。 と、ちょっとウィキペディアを見たら苦笑⇒小林秀雄 (批評家) - Wikipedia 小林秀雄の真価はむしろ、ドストエフスキイ論から始まる。 これね⇒「 ドストエフスキイの生活: : 小林 秀雄」 これがどのくらいすごい問題を

    小林秀雄の読み方 - finalventの日記
  • 若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記

    講談社文庫のツァラトゥストラはハイデガーの註をつけていた。あれがよかった面と悪かった面があるかもしれない。というか、結局ハイデガーを読んでいたようでもあるし。 あのころ、西尾幹二が文壇?というかニーチェ学者として出てきたのだが、私のような高校生レベルで、こ、これはニーチェが読めてねーとか思ったものだった。ツァラトゥストラは四部あり、三部で大きな転調のようなものがある。永劫回帰の問題でもあるし、<正午>の問題でもある。だが、西尾はせいぜい一部で留まっていた。この人には西洋の思想というに取り組む胆力とういのがないのではないかと若造ながらに思った。というか、ハイデガーですらというかハイデガーだからかということもかもしれないが、彼の持つテキストを読み解こうとする妄念のようなあるいは自己規律のようなものが、西尾には感じられなかった。その後の西尾については率直にいってほとんど関心ない。吉が意外に西尾

    若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記
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