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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (3)

  • 「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog

    考え方はいろいろあって、まず「マルクスの思想は現代経済学ゲーム理論と整合的である」という大前提から出発する。そうするとここで「だからマルクスも再読に堪える」という考え方も出てくれば、逆に「だったらマルクスイラネ」という考え方も出る。この違いはどちらが正しいか、という問題ではない。要はそれぞれの受け手の側での事情の違いである。マルクスを含めた「思想」によりなじみの深い人文系インテリにとって「だからマルクスも再読jに堪える」という結論には十分に意味がある。こうした層にとってはマルクスと併せ読むことによって、現代経済学ゲーム理論の理解がはかどる可能性があるからだ。 ただそれだけで済ますわけにもいかない。 山形の場合も「だったらマルクスイラネ」という結論は、何の気なしに出されているわけではない。マルクスには激烈な副作用があり、その副作用を勘案するならば、なくてすませられるなら敬して遠ざけるに越

  • 「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog

    松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんのの評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================

    「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog
  • カーをちょこっとかじっただけで、モーゲンソーもウォルツももちろんミアシャイマーも読んでいないのに、無理矢理リアリズム国際政治学について考えてみるよ。 - shinichiroinaba's blog

    そもそもここでいう「リアル」って何なのだろうか。通俗的な理解ではここでのリアリズムというのは必ずしも「実証的」とか「実現可能性を重んじた」という意味ではないと思う。そもそもまともな社会科学であればそれを実践できているかどうかはともかくそれを目指していないはずはないし。となると「リアリズム」と他の立場を分かつのは実証性とかではなくて、どのような視線が実証的か、何を実現可能とみるか、の違いであるはずだ。 通常リアリズム国際政治学を他の学派から分かつのは、そのパワーポリティクス至上主義であろう。まず実証的なレベルでは国際社会をホッブズ的な自然状態とみなす。問題はそこから先、つまりそのような観点から実証分析をしたうえで、誰に対して、どのような政策指針を提示するのか、である。 通常、リアリズムにおいては、ここで「誰」、というときの相手、処方箋の宛先は、結局具体的には一つ一つの国家であって、その集合体

    カーをちょこっとかじっただけで、モーゲンソーもウォルツももちろんミアシャイマーも読んでいないのに、無理矢理リアリズム国際政治学について考えてみるよ。 - shinichiroinaba's blog
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