「政党の体を成していなかった」 2014年の沖縄県知事選に翁長がオール沖縄を率いて立候補を表明すると、昌吉も翁長に対抗するように立候補した。当時の民主党は辺野古移設を容認する立場だったにもかかわらず、オール沖縄の先頭に立っていた翁長に敵対しないほうが得策であると判断して、昌吉に立候補を取りやめるよう働きかけた。利権・既得権の固守や党利党略を嫌う昌吉は、この指示を一蹴し、離党した上で立候補に踏み切った。昌吉が落選すると、党本部はすでに党籍のない昌吉を「除名」したが、民主党のこうしたでたらめぶりに昌吉はあきれかえり、「政党の体を成していなかった」と述懐している。 なお、この9月に再選された玉城デニー知事も民主党出身で、昌吉に支えられた時期もあったが、現在は、オール沖縄の顔になっている。 また喜納昌吉は、オショー(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やダライ・ラマ14世との交流など、スピリチュアルな世