日本学術会議は、政府との関係や時代背景に応じて会員の選出方法や果たす役割を変化させてきました。1997年から2003年にかけて会長を務め、改革を進めた東京大学の吉川弘之元総長(87)によりますと日本学術会議は大きく2回変化してきたとしています。 日本学術会議は、戦前から戦中にかけて大学の人事や研究内容に軍部が介入するのを許したことへの反省から、欧米の学術機関にならって科学者が中心となった組織を作るべきだとする声が高まったのを受けて、1949年に設立されました。 設立直後は、「学問の独立」を強く意識し、会員の選出は全国の科学者による選挙で行われ、「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない」とする決意を示した声明や、大学の人事は政治的な理由で左右されるべきでないとして、学問や思想の自由を尊重するよう国に求める声明などが相次いで出されました。 一方で、政府から政策についての科学的助言を求める諮問