ドキュメンタリーが好き。 めっちゃ面白くて、やっぱり作ったものは事実には敵わないんだなあみたいになるの教えて。 メディアはなんでもいいです。 自分が今まで面白かったのは ・赤ちゃんは殺されたのか ・コンチキ号漂流記 ・死に山 かなあ。 三つとも本です。 Wikipediaの三毛別熊事件も凄いよね。怖いけど。
![面白いドキュメンタリー教えて](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
可能性の説話論/不可能性の説話論 この1年ほど、映画批評の連載でテーマにしてきたことがあります。岩井俊二監督最新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』(3月公開)のパンフレットにも詳述しましたが、近年の映画において、「社会はクソである」というモチーフが前面に出てきています。 「政治が悪いからクソだ」とか「社会的に恵まれない人がこんなにいるからクソだ」ということではなく、「そもそも社会はすべてクソなのだ」と。国籍も年代も問わず、映画監督がそのモチーフをどう表現するのか、ということがポイントになっています。 別の言い方をしましょう。映画や小説などの表現には二つの対照的なフレームがあります。第一は、本来は社会も愛も完全であり得るのに、何かが邪魔をしているので不完全になっているとするフレーム。不全をもたらす障害や悪の除去が説話論的な焦点になります。 第二は、本来は社会も愛も不可能なのに、何かが働いて、
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