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ブックマーク / realsound.jp (7)

  • 「やりがい搾取」から「やりがい再分配」へ? 『DEATH STRANDING』が示す、郵政再公営化とポストクリティーク的批評の可能性

    「やりがい搾取」から「やりがい再分配」へ? 『DEATH STRANDING』が示す、郵政再公営化とポストクリティーク的批評の可能性 郵政再公営化構想としての『デススト』、国道建設にみるポストクリティーク的批評 宮崎駿監督による1989年のアニメ映画『魔女の宅急便』は、ヤマト運輸に商標使用料を払って制作された「郵政民営化の物語」であった。アメリカ文学研究者の三浦玲一は、『村上春樹とポストモダン・ジャパン──グローバル化の文化と文学』の中でそのように述べた。 『魔女の宅急便』のヒロインであるキキが宅急便の仕事を始めるのは、自立のための現金収入が必要だからであり、さらに、優れた配達人になることがキキの自己実現として描かれるという意味において、この場合の配達は公的なものではありえず、私的な創意工夫によって行われなくてはならない。そして、彼女の配達はやりたいことをやっているのだから、過酷でも低賃金

    「やりがい搾取」から「やりがい再分配」へ? 『DEATH STRANDING』が示す、郵政再公営化とポストクリティーク的批評の可能性
    k-noto3
    k-noto3 2022/01/05
  • 日本アニメ映画史に刻まれる“傑作” 『漁港の肉子ちゃん』が描く日常におけるファンタジー

    『かぐや姫の物語』、『風立ちぬ』と、日のアニメーション映画の複数の時代を代表する高畑勲監督、宮崎駿監督、両名の巨匠の集大成といえる2作品が公開された2013年から数年の間、盛んに言われるようになったのが、「ポストジブリ」という言葉だった。国民的なアニメーション映画を生み出す、巨匠擁するスタジオジブリの役割を、どこが、誰が今後担うのかという予想が飛び交ったのである。 しかし、その種の議論は次第にトーンダウンしていくこととなる。なぜなら、その後『君の名は。』(2016年)や『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(2020年)のように、スタジオジブリとは毛色の異なるアニメーション映画が大ヒットを記録することになったからだ。一方で、『名探偵コナン』劇場版シリーズも多くの動員を獲得している。そんな現在、『この世界の片隅に』(2016年)や『夜明け告げるルーのうた』(2017年)以来となる、作品の質とテー

    日本アニメ映画史に刻まれる“傑作” 『漁港の肉子ちゃん』が描く日常におけるファンタジー
    k-noto3
    k-noto3 2021/06/19
  • <特別編・後編>宮台真司の『攻殻機動隊 SAC_2045』評:人間より優れた倫理を持つ存在と戦う必要があるのか?

    リアルサウンド映画部にて連載中の社会学者・宮台真司による映画批評。今回は特別編として、6月1日放送のミュージシャン・ダースレイダーとのライブ配信企画「100分de宮台」の第4回目を対談形式にて掲載する。後編では、前編(参考:<特別編・前編>宮台真司の『ミッドナイト・ゴスペル』評:サラダボウルの中にいた「見たいものしか見ない」主人公が「倫理」に気づく)で語ってもらったNetflixオリジナルアニメ『ミッドナイト・ゴスペル』とポストヒューマン的世界観を共有するNetflix攻殻機動隊SAC_2045』を論じる。作が問いかける、「ポストヒューマンのルーツ」だという倫理の行方、感情の劣化の描写、そして作品内で示唆される、民主主義国家で暮らす人々の未来像についてまで語ってもらった。 【『ミッドナイト・ゴスペル』を踏まえた『攻殻機動隊SAC_2045』】 ダースレイダー(以下、ダース):『攻殻機動

    <特別編・後編>宮台真司の『攻殻機動隊 SAC_2045』評:人間より優れた倫理を持つ存在と戦う必要があるのか?
    k-noto3
    k-noto3 2020/09/14
    素子の紹介に突っ込んでる人がいるように、みんな新作観てないんじゃん。/個人的な感想としては、ビジュアルは慣れだが、説明的なセリフが多くて展開のスピード感がない。正直しんどいが、日本沈没よりはマシ。
  • 物事の二面性と中間性を体現する『スリー・ビルボード』の衝撃

    「なんだ、これは…」『スリー・ビルボード』を鑑賞中に、思わず何度もつぶやいてしまった。予想を裏切り続ける衝撃的な展開の連続に、この映画を観ている間じゅう呆気にとられるのだ。このように、多くの観客に新鮮な驚きを与え、アメリカ国内外で多数の賞を受賞し、アカデミー賞有力候補にもなった作、『スリー・ビルボード』が与える衝撃がどこからくるのか、ここではその理由をできるだけ深く考察していきたい。 物語の始まりは、むしろシンプルで地味過ぎるほどだ。アメリカ、ミズーリ州の田舎町で、自分の娘を何者かにむごたらしく殺害された女性ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)が、進展を見せない地元警察の捜査に苛立ちを感じ、車が通る道に3枚の大きな広告看板(スリー・ビルボード)を出した。その内容は、事件を未だ解決できていない警察署長を名指しで批判するというものだった。そのウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)は、ミル

    物事の二面性と中間性を体現する『スリー・ビルボード』の衝撃
  • 菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね

    *以下のテキストは、 マスメディアがアカデミー賞レースの報道を一斉に始める前の、2月20日に入稿、更に4日前に書かれたもので、つまり所謂 「あとだしジャンケン」ではない旨、冒頭に強調しておく。 今時これほど手放しで褒められてる映画があるだろうか? 当連載は、英語圏の作品を扱わないので今回は<特別編>となる。筆者は映画評論家として3流だと思うが、作は、複数のメディアから批評の依頼があった。大人気である。「全く褒められませんよ」「こんな映画にヒーヒー言ってるバカにいやがられるだけの原稿しか書けませんけど」と固辞しても、どうしても書けという。 そりゃあそうだ。筆者は一度だけヤフーニュースのトップページに名前が出たことがある。ジャズの名門インパルス!レーベルと、米国人以外で初めて契約したから? 違う。女優の菊地凛子を歌手デビューさせたから? 違う。正解は「『セッション』を自分のブログで酷評したか

    菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね
  • 『FAKE』はなぜヒットした? 配給会社・東風代表が語る、ドキュメンタリー映画の面白さと難しさ

    佐村河内守のドキュメンタリー映画『FAKE』が、その反響を受けてユーロライブで拡大公開されるなど、非常に好調だ。同作を配給したのは、『平成ジレンマ』や『ヤクザと憲法』といった刺激的なドキュメンタリー映画を多数手がけている合同会社東風。スペースシャワーTVの高根順次プロデューサーによるインタビュー連載「映画業界のキーマン直撃!!」第6回では、同社の代表であり、『FAKE』のプロデューサーとしても名を連ねる木下繁貴氏に、その製作裏話や会社立ち上げの経緯、ドキュメンタリー映画を配給する上での苦労や覚悟について、詳しく話を聞いた。(編集部) 「『FAKE』は、ネタバレしたとしても力を失う作品ではない」 高根:『FAKE』では衝撃的なラストシーンが大きな話題となっています。あくまで個人的な感想ですが、結末ありきでドキュメンタリーを組み立てているのかと感じるほど、見事なラストシーンでした。 木下:わた

    『FAKE』はなぜヒットした? 配給会社・東風代表が語る、ドキュメンタリー映画の面白さと難しさ
  • 宮台真司の『FAKE』評:「社会も愛もそもそも不可能であること」に照準する映画が目立つ

    可能性の説話論/不可能性の説話論 この1年ほど、映画批評の連載でテーマにしてきたことがあります。岩井俊二監督最新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』(3月公開)のパンフレットにも詳述しましたが、近年の映画において、「社会はクソである」というモチーフが前面に出てきています。 「政治が悪いからクソだ」とか「社会的に恵まれない人がこんなにいるからクソだ」ということではなく、「そもそも社会はすべてクソなのだ」と。国籍も年代も問わず、映画監督がそのモチーフをどう表現するのか、ということがポイントになっています。 別の言い方をしましょう。映画小説などの表現には二つの対照的なフレームがあります。第一は、来は社会も愛も完全であり得るのに、何かが邪魔をしているので不完全になっているとするフレーム。不全をもたらす障害や悪の除去が説話論的な焦点になります。 第二は、来は社会も愛も不可能なのに、何かが働いて、

    宮台真司の『FAKE』評:「社会も愛もそもそも不可能であること」に照準する映画が目立つ
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