閑話休題。面白ジョーク?見つけた。 「ドイツ人が発明し、アメリカ人が製品化し、イギリス人が投資し、フランス人がデザインし、イタリア人がPRし、日本人が小型化、高性能化して、中国人が海賊版を作り、韓国人が起源を主張する」 ホント、地球は丸い!
映画『デトロイト』の日本での日本公開が始まりました。 日本では「黒人差別を描いた映画」などと安易に賛美する論調が見られますが、この映画は黒人差別を描いた映画などではありません。 むしろ、黒人差別を助長する映画です。 デトロイトの歴史、アメリカ公民権運動の歴史は、日本ではほとんど知られていません。 だからこそ、中途半端に白人の視点から公民権運動やデトロイト「暴動」を描いた映画は、日本人が持つ黒人のイメージを悪化し、さらに公民権運動にまで偏見を持たせかねない危険なものなのです。 この記事では1967年8月にデトロイトで起きた事件を「暴動」ではなく、白人社会の圧政に対する「反乱」であったと考え、デトロイト反乱と表記します。 デトロイト反乱は単なる暴力事件ではなく、アメリカ公民権運動史の重要な出来事でもあります。 1967年7月23日、警察は営業許可時間外に違法営業している「ブラインド・ピッグ」と
映画『デトロイト』を見てきた。 見る前に知人から胸糞映画だと言われて覚悟していたのだが、実際、胸がスッとするようなカタルシスは最後まで訪れず(史実に沿っているのだから仕方がないが)、見た後も頭痛がしてしばらく落ち込んだままだった。 この映画は黒人差別を扱ったものだが、その描き方については様々な観点から批判がなされている。たとえば古谷有希子は、この映画は公民権運動の一部としてのデトロイト暴動の背景や意味について触れることなく、ただその暴力性にスポットを当てており、黒人に対してネガティヴなイメージを喚起する差別助長映画であると喝破している*1。また、Shenequa Goldingも、この映画は「ホラー映画」の演出を用いてしまったことで、それぞれの人物の個性が埋没してしまったことを指摘する*2。やはりここでも問題になっているのは、センセーショナルな暴力にスポットが当たっているため、本質的な問題
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く