9日付の日本の新聞を読み、北京オリンピックを冷静な目で見ていることに驚いた。読売新聞は社説でチベット弾圧・聖火リレー騒動・報道規制などを並べ、中国を批判した。毎日新聞は1面のコラム欄で「中国はまだ“世界が理解できる国”になっていない」と書いた。 日本ではあらゆる分野がそうだが、メディアもめったに興奮しない。20世紀初めに戦争をあおり痛い目に遭ってからは、少なくとも主なメディアは感情的な論調や表現を排除する慣行を身に染み込ませているという。 だが、こうした日本メディアが感情を込め、好意的に受け取ったオリンピックがある。それはソウル・オリンピックだ。開催地選定の際、ソウルが名古屋を破ったため、日本の視線は冷たかったと思うかもしれないが、実は全く違っていた。 開会式当日の1988年9月17日、日本の新聞各紙が報じたソウル・オリンピック関連記事は150件以上。かなりの量だ。この日、日本経済新