6月3日に発表された「メガドライブミニ2」。10月27日の発売に向けて、本連載ではセガの名機であるメガドライブの歴史をたどってみたい(全5回)。筆を取っていただくのは、前回の連載から1年ぶりとなるセガの奥成洋輔さんだ。メガドライブの歴史に欠かせないさまざまなトピックを網羅しつつ、奥成さんの目線でふり返る。
ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」がついに決着。敗北を喫したセガサターンはその道をドリームキャストへゆずることになった。その日を迎えたとき、セガサターンはセガに、セガファンにいったい何を残したのか? 現役セガ社員の奥成洋輔さんの執筆で当時をふり返る本連載、ついに最終回。 セガハードで初の国内500万台を達成したセガサターンは、前年末の大作RPGラッシュ後、1998年に入ってからも強力なタイトルが続々とリリースされた。チュンソフトの完全新作サウンドノベル『街』、シリーズ3作目にしてRPGとなった『AZEL ~パンツァードラグーンRPG~』、ソニックチームの新作3Dアクション『バーニングレンジャー』。 さらに『センチメンタルグラフティ』『Piaキャロットへようこそ!!』に『EVE The Lost One』といった人気美少女アドベンチャー、その他
ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」。現役セガ社員の奥成洋輔さんによる執筆で、当時の状況をふり返ります。第3回は1996年の年始に放映されたあのテレビCMからスタート。そして1996年はセガサターン、プレイステーションともに充実のタイトルラインナップをそろえ、大きく売り上げ台数を伸ばすことになるが……? 1995年の年末商戦は、発売から1年経った次世代ゲーム機が大きく市場を拡大した。旧世代機であるスーパーファミコンが『スーパードンキーコング2』『ドラゴンクエストVI』などを発売し前年に続き好調な一方で、特にセガサターンは大きく盛り上がった。年末を待たず本体は完売、プレイステーションに先駆け国内販売200万台を達成。 ソフトウェアでも『バーチャファイター2』が、次世代機市場および日本国内のセガで初めて100万本を販売するなど大きく存在感を示す。こ
ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」。セガの目線で当時の状況をふり返る本連載、第2回の舞台は1995年。のちのゲーム業界を変えた取り組みや、プレイステーションVSセガサターン第2ラウンドの舞台裏など、重要なトピックをカバー。今回も現役セガ社員の奥成洋輔さんだから書ける、貴重な情報満載でお届けする。 プレイステーションの登場によって、ソニーはゲーム業界にいくつかの変革を促したと言われる。1つはゲームの主流を2Dから3Dにしたこと。次に流通改革によるリピートのしやすさ、定価販売の義務付け(後に廃止)、同時に高騰していたソフトの価格帯を下げたこと。そして、なんといっても広告・プロモーションの拡大だ。 TVゲームのCMは、これまでもゴールデンタイムや子供向け番組の中で見ることができたが、プレイステーションの宣伝はそんなものではなかった。TVを付けていれ
日本のゲーム史において、世代が変わるたびに何度も行われてきた家庭用ゲーム機のシェア争い。中でもソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による争いは「次世代ゲーム機戦争」と呼ばれ、最も白熱した戦いが繰り広げられた。この連載では、長年独自ハードを開発・販売し、業界をけん引してきたセガにあえて焦点を当て、当時の状況をふり返ってみたい。執筆をお願いしたのは、この2ハードが発売された1994年にセガへ入社した、現役セガ社員の奥成洋輔さんだ。現場ではどんな思いで戦争を戦ってきたのか!? 全5回に渡ってお届けする。 僕が大学を卒業しセガに入社したのは、今から30年近く前となる1994年。あの「次世代ゲーム機戦争」の開戦した年だ。この年の年末は、ソニーが初めて家庭用TVゲーム機に参戦した初代「プレイステーション」が発売され、そしてその10日ほど前に、セガは6番目の家庭用TVゲーム機「セガサタ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く