2024年7月2日のブックマーク (2件)

  • 平城京の北の果て...佐紀盾列古墳群を歩く (後編) - すまりんの てくてく ふたり旅

    奈良の平城京の北の果てをてくてく🐾🐾 すまりんたちは 古墳を巡りながら歴史散策をしています 日 「後編」です(^_-)-☆ 平城宮跡歴史公園の北辺を西へ歩いていくと 見えてきたのは復原された大極殿 他の建物の復原事業も行われているようです 平城宮跡の航空写真(photo byすまき) 佐紀神社を過ぎて… 池のほとりをめぐり… 旧い街並みを抜けて行くと… 再び古墳が現れました! ここから 佐紀盾列古墳群の西側部分のかたまりに入ります 佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)は 宮内庁により 第11代垂仁天皇皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の「狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)」に治定されています ※かつては神功皇后陵とも考えられていました 全長207mで全国32位の大きさです 「日書紀」によると… 垂仁天皇の叔父の倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなったとき 近習の者を集めて

    平城京の北の果て...佐紀盾列古墳群を歩く (後編) - すまりんの てくてく ふたり旅
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    k0013293 2024/07/02
  • ハットゥシャ(ボアズキョイ)

    古代ヒッタイト王国の都 現在の地名はボアズキョイ 大量の楔形文字の粘土版が出土し、ヒッタイトとエジプト新王国の関係が明らかになった ボアズキョイ遺跡 トルコの首都アンカラから約150キロメートル東方にある 海抜1000メートル前後の丘陵地帯 城壁に囲まれた大きな山城 王宮跡、神殿、獅子門などの遺構があり、楔形文字の粘土板も発見されている ボアズキョイ文書 1906年にドイツ隊が発掘 楔形文字を記した粘土版文書「ボアズキョイ文書」が多数出土 王の年代記、条約、書簡などが含まれ、エジプトとの外交関係が明らかに 言語はヒッタイト語だけでなく、アッカド語やフリ語も含まれている オリエントの国際社会の解明と言語系統の研究に貴重な資料となっている

    ハットゥシャ(ボアズキョイ)
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    k0013293 2024/07/02