ブックマーク / katatumurinoblog.hatenablog.com (3)

  • 盆栽と暮らす(11) 嗚呼、良かった。 - かたつむり学舎のぶろぐ

    芽切りの写真を撮っておけばよかった。と毎年のことのように後悔する私は、新芽を切られてもまた不屈の営みによって二番芽を吹かせる松の樹に比べても、一向に成長していないということなのやも知れません。 あんなに切ったにも拘わらず、棚場の松の枝先に鮮やかな黄緑の新芽がぷつり、ぷつりと見えると「嗚呼、良かった。」という気分が毎年の如く湧いてきます。この二番芽が秋にかけて成長していくわけですが、切り落とした今年の一番芽に比べやや小ぶりになるところがポイント。 成長期の真っ盛りで一度リセットをかけられるものですから、次の芽は半分の成長期分しか葉を伸ばすことができないのです。そのおかげで松は「締まった」形を維持することが可能となり、全体的なサイズもそのままに保てるのです。 写真は七月中旬に芽切りを行った松に確認された新芽であります。樹精が良ければ一つの芽跡から二つの芽がふくなんてラッキーもあり、「締まった」

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    k10no3 2023/08/12
  • 盆人漫録(36) 赤松レスキュー Ⅰ - かたつむり学舎のぶろぐ

    「ウチの鉢と、残った樹を引き取ってくれ。」 という盆栽仲間からの依頼は、残念ながら一度や二度ではありません。年齢的なものや健康上の理由から、どうにも盆栽を続けていくことがままならなくなる時は、いづれの愛好家にも等しくやって来るのです。 果たしてこの間生まれ出た私の息子は、私の盆栽を受け継いでくれるだろうか・・・ふと夜中にそんな取り留めのないことを考えては悶々とする夜もあったりなかったり・・・。世話がままならぬばかりに、自分の樹が自分の目の前で日に日に枯れてゆく様など誰も見たくはないのです。 やはり盆栽愛好家の心情としては誰かちゃんと大事にしてくれる人の手に委ねたい、と思うのが自然な流れなのでありましょう。だからこそ盆栽仲間というのは心強いものであり、時には誰かにパスされたバトンを落っことさずに全力ダッシュする覚悟を持っていなければならぬのであります。 さて今回のレスキューは、会員の中でも最

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    k10no3 2023/06/30
  • 盆栽と暮らす(1) 序 - かたつむり学舎のぶろぐ

    「盆栽と暮らす」ことについて、はじめて自覚的にモノを考えるようになったのは、つい最近のことです。それまでの十年は当たり前のように盆栽と生活を共にしてきたわけですが、子供が生まれたことをきっかけに、改めて「盆栽と暮らす」ことの様々な側面を見つめ直すようになった次第であります。 そのワケは実に単純。「育てるもの」が増えたおかげで、今まで何の考えもなしに盆栽に割いてきた時間がうまく取れなくなったところにあります。そしてまた、いわけなき哺乳動物の子を育てることと盆栽を育てることの大変さと愉しみとが、際だって対照されるようになってきたこともまたその一因と言えましょう。 もともと私は自分の糊口を凌ぐたつきである「教育」の観点から、「盆栽をつくること」と「人の子を教育する」こととをそれほど大差なく見てきました。もちろんその既定路線は今後も変わることはないのでしょうが、教育から離れた「日々の生活」という観

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    k10no3 2023/05/18
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