政府は18日、北朝鮮から同日午前7時台に弾道ミサイルが発射されたことを受け、国家安全保障会議(NSC)を開き、米国と韓国との連携強化など今後の対応を指示した。NSCの開催は今年初めてで、昨年12月22日以来約3カ月ぶり。北朝鮮からの弾道ミサイル発射を受けた開催は昨年12…
説教じみた話を書いているとほんと年寄り臭くなるし、年寄り臭いというだけで嫌悪感を誘うものだし、嫌悪感があれば誤解が誘導されるものなので、ちょいとだけ、仕事を辞める云々の補足みたいなこと。 仕事というのは、世の中の少なからずの人が、自己実現とか報酬と思っている。違っているとは言わないが、こっそり言うと違っているというか大間違いだと思う。ではなにか、時間の拘束である。自分の人生の時間が自分の思い通りにならないという拘束こそが仕事の本質なのである。そりゃないっしょとか言われるか。 仕事は命ぜられてやるものではない主体的にやるものだ、よって、拘束じゃない、自らが求めたものだ、とか、言う? いや、そこがこの問題の要なのだ。 そして、この根幹の問題に、マルクスはとっても明快なことを言っている、だから、マルクスは根源的な思想家なのである。 労働とは時間なのだ、と。 本当はそうじゃない、が、時間として抽象
2006年01月07日12:57 縦並び社会-誰も格差を埋めてはくれません カテゴリ変化への視点 kinkiboy Comment(7)Trackback(15) 景気回復基調であり、株価はバブル期の日経平均の高値は3万8950円と比べれば、まだ半値以下とはいえ、一日平均取引額はすでにバブル水準を上回っています。日本に再びゆるやかに上昇機運がやってきたように思えますが、その影では、、「生き残りをかけた競争」はますます激しくなり、多くの市場ではトップ・ブランドしか儲からない、いわゆる「市場の小選挙区化」が以前に増して進んできています。そんな競争に勝てず、経営危機に陥っている企業がどんどん生まれてきています。 さらに厳しいリストラは、好景気というにもかかわらず、いまだに人びとに襲いかかってきています。個人も「勝ち組と負け組の格差」が容赦なく広がってきており、ほんとうに厳しい時代になりました。
去年もなんか12月末から1月にかけて、こんな記事とかこんな記事を書いた覚えが。読み直すと、あの頃はコメント欄の長文レスにもまじめに答えてたなあと感慨深い。それにしても、毎年飽きもせずにこのネタが繰り返されるのは、政府の来年度予算案関連の報道がトリガーになっているからなんだろうか。 今年は非モテ論とかが僕みたいな妻子持ちの素人には手が出せないぐらい燃え上がったこともあって、これ系のネタは無視しようと思っていたが、何やら突然H-Yamaguchi.netで議論の歴史的経緯とか非モテの琴線とかをまったく無視した暴論エントリが上がっちゃいました。 暴論:「負け犬」男性を救え!(H-Yamaguchi.Net) あーあ。山口さん、やっちまったよ。というわけで、ちょっとなだめ気味に歴史的経緯のご説明をば。 山口さんが1つまったく踏まえてないなーと思うのは、そもそも酒井順子の『負け組の遠吠え』っていうの
27日は中野の光座に唐組の久保井研が出演している新転位21の「黙る女」を観に行く。あとは一連の大学内の問題でタフな会議続き。それから、文化庁の芸術文化振興会などの文化助成の実績報告書作りや来年度の申請書作りに追われる。これをやっているとストレスがたまる。 演劇/映画/美術/音楽といったあらゆる領域で国家による文化助成が行われており、演劇だけでも数十億円に及ぶ国費が使われている。そして、きわめて多数の演劇公演がここから助成金を受け取っているからだ。だが、これを受け取るためには一年のこの時期に次年度の予算計画を提出しなくてはならない。そして、助成金の額は予算総額の1/2まで、そして自己負担金(つまり赤字)の範囲内でなければならない(実際には赤字分全部ではなくそこにまた60%程度をかけた金額が助成額となる)。そして、実績報告書ではこの総予算額とだいたい同じ(80%まで)になっていなければならない
下校時の学童が狙われる痛ましい事件が目立つ。新聞社説なども取り上げているのだが、スクールバスの議論があまりないのはなぜだろうかと疑問に思った。チャーリーブラウン好きの私にしてみると、学童の通学イコールスクールバスというのはアメリカだけのこととも思えない。 社説がまったくスクルールバスについて触れていないわけではない。昨日の朝日新聞社説”また女児殺害 大人が懸命に守らねば ”(参照)にはこうある。 特に細心の注意をしなくてはいけないのは下校時である。今回の女児は防犯ブザーを持っていたが、被害を防ぐことができなかった。 通学路が遠く、大人の目が届かない場合には、幼稚園や保育園で使われているような送迎バスを用意するなどの対策を取るべきだ。 保護者の視線ではなく、犯人の視線に立って、子どもたちの通学路を再点検する。そのうえで、危なそうな通学路の要所要所に大人が立つ。そうした工夫が欠かせない。 話が
2005年12月04日02:16 カテゴリTaxpayerMoney 道草は死語になるのか? 校門の外の事まで学校が面倒を見るようになって久しい。 道草文庫 大石英司の代替空港: 治安という幻想今、必要なのは、日本全国の教育長や自治体の首長がテレビに出て、残念ながら私たちの社会は、最早、子供たちの安全を確保できません。どうぞお父さんお母さん、積極的に子供たちを学校まで送り迎えし、校門で先生たちと会話を交わして下さい、と呼び掛けることです。すでに私がガキの頃にも、「生活指導」と表して盛り場を巡回していたりしたものだ。そんな暇があったら少しでも授業を実りあるものにしてもらいたいものなのだが。 この手の事件が起きると、必ず「学校はどうした?」「家庭はどうした?」と、学校と家庭の責任論が飛び交う。しかし、社会はそれほど狭くないはずだ。子供にとっても。 学校と家庭以外にも世界があるのだというのは、か
広島女児殺害事件関連報道や取材姿勢の批判に乗じて、例のごとく朝日叩きや在日叩き(在日コリアンに関してはかばおうとするのに…と引き合いに出す)をしている人がごろごろ。そっちのほうがメインかよ、みたいな。そっち方面じゃない立場の人によるマスコミ批判はないものかと思った。いや探せばあるんだろうけどさ。私が見に行ってるところが偏ってるのか? マスコミだけを批判してればいいってものでもないが。(←その後いくつか発見しました)仮に容疑者が近所に住む日本人男性(在日コリアンでも?)だったとしたら、報道はどういう風になされているだろうか。その人物が幼女を殺すような性向を持った人間であることを裏付けるような物品(それらしき描写のあるビデオやマンガなど)や「普通と違う」ライフスタイル(定職についてないとかさ)だとかコミュニケーション下手だとかいった要素を血眼になって探して書きたてるんだろうな… 誰かのちょっと
その女は、決まって千代田線の千駄木の駅から乗り込んでくる。 これまでにも何回か出くわしているその女のことを私は密かに「電車女」と呼んでいた。 どの時刻のどの車両に乗れば、遭遇することになるか、あらかじめわかっていたわけだから、充分警戒しておくべきだったのに、不用意にも、その日も無意識のうちに同じ時刻、同じ車両に乗ってしまった。それでも車両が千駄木の駅にスルスルと滑り込む寸前に「まずい!」と気がつき、別の車両に乗り移ろうかと思ったのだが、時既に遅かった。いつものように電車女は、ドア近くにいた私の目の前に立つと、バックから白いチューブを取り出した。 年齢は30代半ばか、ひょっとすると40代に手が届いているかも知れない。もともと、目鼻立ちは整っていて、いわゆる「ブス」の部類に入る女性ではない。けれども、少しくたびれたスーツを身にまとった、その横顔には、日常生活の疲れがシミとなって陰を落としている
日本をはじめとして少子化対策に頭を悩ませている先進国が多い中、出生率を上昇させることに成功しているのがフランスだ。そのフランスも80年代までは他の先進諸国同様、出生率はジリジリと低下しつつあった。しかし、90年代に入ってから手厚い育児支援策を実施した結果、合計特殊出生率は95年から上昇に転じ、2003年には1.89という、先進諸国の中では希有な水準を維持している。フランスに学べという機運が高まり、日本政府もフランスの育児支援制度の調査を始めた。 このテーマについて、ブロガーの記事に水準の高いものが多い。・社会分析的ブログ:フランスに学ぶ少子化対策では、フランスの子育て支援の実際がとても詳しく紹介されている。 フランスの児童手当や育児支援制度が手厚いとは聞いていたが、パリのママンさんのブログが紹介しているように、手当の他に、子どもをひとりつくるたびに、年金受給に必要な労働期間が2年短縮される
女性との関係を口実に中学生が男子大学生を恐喝し金を奪うなどの事件が相次いでいる。いわゆる美人局(つつもたせ)と呼ばれる古典的な手口だが、そこに見知らぬ人と簡単に出会えるSNSの特性が加わり、専門家は「被害者側の背徳感を逆手に取った犯行だ」と指摘する。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く