2020年3月18日のブックマーク (2件)

  • クレモナの救急病院から静かなメッセージ | フィレンツェ田舎生活便り2

    昼過ぎに、救急センターから電話があり、「今日、多分搬送の要請があると思うんだけど行ける?」と言われ、生地でベトベトの手でオッケーと返事。まあ、正式に出動命令が出るまで時間がかかるし、重症患者のケースばかりなので、当に搬送できるかはギリギリにならないと分かりません。前回みたいにセンターに行って何時間も待つのは嫌なので、「そしたら決まったら電話してね。着替えて30分で行くから」と伝えておきました。 夕方まで連絡がないから、きっと今日はないんだなって思いながら呑気にラーラと森を散歩をしてたら、携帯が鳴り、出動要請が入る!10キロのパン生地はアントネッロに任せて(涙)、センターへ。

    クレモナの救急病院から静かなメッセージ | フィレンツェ田舎生活便り2
  • 「先生がオメガを倒したら宿題やってきてやるよ」と生徒が言ったので、わたしはゲームライターになった|Yuka S. (or rurune)

    (四半世紀前の思い出。間違い、勘違いがいくつかあります。修正しようと努力しましたが、次第につじつま合わせに必死になり、書き上げた時の情熱を自ら消してしまいかねないと気づきました。なので10年以上も迷って、やっとついに書き上げることができたままの文を残しておきます。) 大学生時代、塾講師のバイトをしていた。理由は金。岩手県で「現役東北大学生が勉強を教えます」とぶん回せば仕事がたくさん来た。家庭教師もしていたが、すぐに塾一に絞った。希少性を高めるため、不便なところを狙った。動機は金。岩手の実家から高速バスで1時間半揺られ、山奥の町の中にあるたったひとつの塾に週3回通った。当時の岩手はのんきなもので、高校進学の選択肢もそんなに多くはなかった。進学校に行くか、そうではない高校に行くか、それぐらい。それでも我が子のよりよい将来を願って、子供を塾に通わせる親が増えてきていた。 両親の願いを背負って送

    「先生がオメガを倒したら宿題やってきてやるよ」と生徒が言ったので、わたしはゲームライターになった|Yuka S. (or rurune)