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*人生と災害に関するk_goboのブックマーク (2)

  • 周りは「海」孤立43時間…被災本紙記者気仙沼避難所ルポ ニュース特集 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    子供の泣き声と老人のうめき声が響き、底冷えする部屋で、じっと身をかがめて誰かの助けを待つしかなかった――。記者は東日巨大地震で宮城県気仙沼市の避難所を取材中、大津波に襲われ、地元の住民の方々450人とともに、避難所内に閉じこめられた。避難所は3階建て公民館だが、2階天井近くまで浸水し、公民館の周囲では、流出した油に引火した火事が頻発。生きた心地がしない中、2晩を過ごし、43時間後に救出された。東北総局気仙沼通信部・中根圭一(27)、写真も 地震発生 11日午後2時46分、東日巨大地震が発生した時は気仙沼市の市街地にある気仙沼通信部にいた。地面から突き上げるような縦揺れの後、激しい横揺れで立っていられない。揺れが収まると、棚からすべてが落ちて足の踏み場もなくなった通信部から、カメラと取材道具を抱えて外に飛び出した。避難所となった市内の気仙沼中央公民館に車で駆け付けた。 公民館に避難した住

    k_gobo
    k_gobo 2013/12/05
    "記者だったはずが被災者になっていたのに途中で気が付く。"
  • ベランダをあけたら目の前ががれきの山だった | 大槌みらい新聞

    大槌町小鎚 阿部利和 53歳 「大きな津波が来ます。逃げてください」って町の防災無線から男性の声が聞こえた。聞いてねーって人もいるけど、俺には聞こえたの。その2、3分後に来た。どすーんて、電柱が倒れるような音がしたわけ。どーすんて。で、ベランダあけたら、目の前ががれきの山だよね。家とか物の渦っていうか物体の押し寄せる力が… びっくりした。もうあけたらきてた。あっという間に飲み込まれた。 被災当時は、地元の工場に勤めてた。家から車で5分ぐらいの距離で、普通の地震でながったから、すぐに会社を飛び出して。母親が足腰が悪い、寝たきりじゃないけど、気になって、すぐに家にかけつけた状態。5分ぐらい後に、パートに出てた家内も帰ってきて。 普段の地震でないから避難が必要だけど、母親が足腰が弱くて。身支度して、動きが遅いんで、人に合わせてた。ゆっくりペースで。そのとき、正直半分はここまではこないだろう。そ

    k_gobo
    k_gobo 2012/09/05
    "いままでの絆は一切辞めましょうって人もいる。"こういう部分はあんまり聞かない。絆絆って繰り返してる陰にはこういうことも必ずある。
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