子供の泣き声と老人のうめき声が響き、底冷えする部屋で、じっと身をかがめて誰かの助けを待つしかなかった――。記者は東日本巨大地震で宮城県気仙沼市の避難所を取材中、大津波に襲われ、地元の住民の方々450人とともに、避難所内に閉じこめられた。避難所は3階建て公民館だが、2階天井近くまで浸水し、公民館の周囲では、流出した油に引火した火事が頻発。生きた心地がしない中、2晩を過ごし、43時間後に救出された。東北総局気仙沼通信部・中根圭一(27)、写真も 地震発生 11日午後2時46分、東日本巨大地震が発生した時は気仙沼市の市街地にある気仙沼通信部にいた。地面から突き上げるような縦揺れの後、激しい横揺れで立っていられない。揺れが収まると、棚からすべてが落ちて足の踏み場もなくなった通信部から、カメラと取材道具を抱えて外に飛び出した。避難所となった市内の気仙沼中央公民館に車で駆け付けた。 公民館に避難した住