2021年2月7日のブックマーク (1件)

  • 豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は、やはり正しかった…!(藤田 達生) @gendai_biz

    NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』が、とうとうクライマックス「能寺の変」を迎える。昨年発売され大ヒットした『日史サイエンス』は、豊臣秀吉の「中国大返し」の難易度を科学的に検討し、「秀吉は能寺の変を事前に察知していた」という結論を導いた。意外なことに、歴史学の研究成果もこの科学的な主張を支持している。「能寺の変」研究の第一人者である藤田達生氏がこの説を徹底検証した、2020年10月25日の記事を再掲する。 実際の行程を推定してみる 能寺の変のあと、秀吉が光秀を倒して信長の後継者として認知され、天下の趨勢を決したのが「中国大返し」だった。それは、秀吉が中国地方の毛利氏攻略のため布陣していた備中高松城(岡山県岡山市)から、光秀との決戦の場となった山崎(京都府大山崎町)までの常識を超えた高速の行軍だったとされている。

    豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は、やはり正しかった…!(藤田 達生) @gendai_biz
    k_igrs
    k_igrs 2021/02/07
    行軍の途中に補給地点を設けておくって軍事の基本じゃないの。あと食料もコンビニで売ってるようなおにぎりじゃなくて水分を飛ばして軽量化した保存食でしょう。