無縁社会その3というべきか。というより、今回は無縁社会に関連付けなくてもいつか言及したかったことでもある。 オリエンタル・デスポティズムを読んでいた時に、日本が狭義での専制国家ではなく、封建諸侯たちの牛耳る国家であると述べられていた。天皇自体が有史以来ずっと本来の国家元首ではなく、既に貴族が実権を握っており、もちろん平安時代は言うに及ばず、鎌倉武家政権から明治維新まで実権は天皇ではなく、臣下が握っていたという形になっている。大政奉還でも天皇は国家元首であっても国政にほんのちょっと関与することがあっても実質親政することはなかった。大日本帝国憲法発布以来、日本は立憲君主国であり、それは新憲法下でも変わる事はない…というか、より憲法を軽視するようになったという意味で劣化した立憲君主国ではあるのだが、いやゝはり天皇が国民の象徴としてまるで国家元首扱いされながらも、実権はほとんど持っていない。では誰
「コメントは編集」が当たり前の日本とは大違い アメリカで活躍する専門家集団「ファクトチェッカー」 取材ノートやテープも取り寄せ事実をチェック 前回(ウォーターゲート事件のディープスロートさえ「オフレコ」取材ではなかった)書いたように、日本では意味があいまいな「オフレコ」取材が日常的に行われている。結果として、新聞紙面は匿名や仮名であふれている。 なぜなのか。新聞社は都合のいいように発言をつまみ食いするだけでなく、発言内容にも勝手に手を加えるから、怖くて実名で語れない---こんなマスコミ不信があるのではないのか。 日米のジャーナリズムの現場を点検すると、オフレコ取材の定義と並んでコメントの引用手法に大きな違いがあることが分かる。アメリカと違い、日本では「コメントを正確に引用する」という報道慣行が根付いていないのだ。 それを裏付けるような"事件"が相次いでいる。1月5日には、インターネット動
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