第2次世界大戦中、日本人外交官の故・杉原千畝氏が発給した「命のビザ」でヨーロッパを逃れて日本に渡り、写真の裏に「私を思い出してください」と書き残したユダヤ人女性の身元が、70年以上の時を経て明らかになった。きっかけは、日本への観光を促すために製作されたビデオだった。 写真は、「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」(現JTB)に勤務していた故・大迫辰雄さんが残したアルバムにあった7枚のうちの1枚。 大迫さんは1940~41年、旧ソ連のウラジオストクと福井県敦賀港の間を往復していた「天草丸」に乗船。杉原氏が発給したビザを受け取って日本にたどり着いたユダヤ人の身元を確認し、米国のユダヤ難民救済協会から預かった資金を渡航費として渡していた。7人の顔写真は「ユダヤ群像」との説明があり、大迫さんが船上で世話した人たちだったという。